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踊り始めて20年、初めて舞台に出れなかった経験から考えたこと

【とても個人的な、自分のための文章です】

大学に入学した年に創設されたフラメンコのサークルに入ったことをきっかけに、ずっとフラメンコを踊ってきました。

大学の時はまだ世の中でそんなにフラメンコが知られていなかったこともあって、若い子たちがカラフルな衣装を着て不思議なリズムで踊ることで妙な話題に。学園祭での公演は会場のまわりをぐるっと一周するぐらい人が来ました。ポスターやアルバムを作ってくれるファンもつき、先生のお仕事でホテルで踊ったり(一回だけ)。ちゃんとした先生しか借りないような老舗のフラメンコレストランを借りて3人で卒業公演をやったり。今振り返ると、あらゆるところに、すみません、すみません、ほんと知らぬが仏でした、と謝りたいことばかりですが、でも本当に楽しかった。

そして卒業後まだ経営コンサルティング第一世代の香りがかすかに残るマッキンゼーに入社、日々猛烈に超ハイテンションで働き、22時ぐらいに仕事が終わるとなんか物足りなくてそこから飲みに行き、金曜日は朝7時(つまり土曜日)まで飲む、という生活をしていると、週末のフラメンコの練習すら二日酔いと睡眠不足で行くのがつらくなってきました。でも発表会にはなんとか出る。

留学したこともあり、数年お休み。2008年からハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の日本リサーチ・センターで働くようになり、以前より落ち着いた生活になっていたので、ちゃんとレッスンも通えるように。私がずっと師事している、人生そのものがフラメンコ、な、河野麻耶先生は、東京だけでなく地方にどんどん展開されており、仙台と静岡に大きな教室を持っています。そのため発表会も仙台や静岡で開催されることもあり、そんな時も泊まりがけでわいわいとクラスのみんなと舞台で踊りました。

2011年、東日本大震災があって、ハーバード大学が日本への渡航注意を出し、HBSの先生たちが一気に日本に来なくなりました。「Mayukaが暇しているらしい」といううわさが飛んで「ならパリのヨーロッパセンターを手伝ったら」と、パリに長期滞在をすることに。その間ほぼ練習しないまま発表会の2日前にパリから帰国し、そして踊りました。何を踊ったかは何も覚えていませんが。

その震災をきっかけにHBSの学生が東北の被災地を訪問しそこで学ぶという授業が始まり、自分にとっては仕事を超えた大切なプロジェクトになりました。1月年明けから2週間続くその授業の間、週末だけこっそり抜け出して発表会に出て、何食わぬ顔して戻るということもやりました。

2016年の出産・独立後も、3ヶ月ぐらいからベビー連れで練習に参加、その時の発表会も、またもや何を踊ったか覚えていませんが、なんだか楽しく舞台にたちました。

そして今回。今日の11月3日が発表会でした。発表会開催が決まった頃、独立してからの自分の時間の使い方もできるようになってきたと思ったので、通常の群舞二つに加えて、別途ソロもやろうと決意しました。大学の卒業公演で踊った歓びという意味の「アレグリアス」。これを踊ると身体の奥底から歓びが沸き出してくる気分になる、でも同時に、これを踊れる今この瞬間への感謝で泣きそうになる、そんな踊りです。これをバタデコーラという裾野が長い豪華なウェディングドレスみたいな衣装を着て踊る。

6月あたりから個人レッスンも始め、バタデコーラもまあまあ蹴れるようになり、いい感じになってきたな、という頃から、体調がおかしくなってきました。食べても食べても体重が減ってくる。夜中に咳き込んで寝れない。練習に出ても一曲踊るとばてて、一人で後ろでぜーぜーしてしまうぐらいに。しばらくソロを踊る案にしがみついていましたが、先生からのやさしい指摘もあって、現実的な判断でソロはあきらめました。

ソロはなくても、ドラマチックな舞台で、いつも一緒にレッスンをしている友人たちと二つの踊りに出れる。体調もゆっくり回復してきて、だんだんと練習も出れるようになり、自分なりにはベストとはいえないけれど、ここまでくれば十分かもと思えるぐらいまできました。

そして、明日がリハーサル、という日。朝起きたらなんかやばい感じ。2週間前から風邪を引きつつも熱は出ないのでそのまま精一杯の日々を送っていたのですが、ついに動けなくなってしまいました。そしてどんどん悪化する。

どうしてこんな日に。

これまで何度もぎりぎりの状態で迎えたけれど、どんな時もなんとか舞台に出れた。以前よりは十分に準備ができているはずの今回、なんでこんなことになってしまったのか。

悔しくてなんか涙が出てきました。たかが趣味、週一ぐらいのコミットメントのものでそんな悔しがらなくてもと自分で突っ込みましたが、でも悔しかった。

二つのことを考えました。

一つ。点滴してものすごく無理すればたぶん出れる。でもそれは命を削ることになる。それでも出るか。

二つ。これまではやりきった「後」に倒れることはしばしばあり、「あー、身体の声だな」とか思ってちょっと反省はするものの、でも結局できてしまうから、身体の声には本気で耳を傾けていなかったのだと思います。今回はじめてやる「前」に倒れた。きっと身体が「この人はここまでやらないとわからない」とサインを送ってくれたのだろう、と。

今自分が人生でやりたいと思ってやっていることは明らかに身体のキャパシティを超えている。十分手放してきたつもりでいたけれど、自分がやりたいこと、やっていて楽しいことも、手放さなければいけないのではないか。

まず、一つ目は、一緒に出る予定の友人たちや先生のあたたかな言葉に押され、出ないと決めました。結局点滴打ったのでだんだん元気になってきて、今でも出れたかもしれない、と、悔しい気持ちが湧き上がってくるけど。(こんなブログを書けるぐらいだし)

二つ目は、正直どう動けばいいのか今はわかりません。今やっていることは、どれも自分にとって尊くてどれも削れない。でも、それでもここで変えなければ、もう身体はサインすら出してくれなくなるかもしれません。

ようやっとやりたいことがわかってきて、自分の人生これから、という時に、やりたいことをやりきれる身体じゃないし、身体の声を聞いているつもりだったけれど全然聞いていなかった、と気づかされた出来事でした。

あーあ、メイクして衣装着て照明浴びて踊りたかったなー。そして踊った後、サングリアを飲みながら語りたかったなあ。と、まだ未練たらたら。


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