青のりのゆくえ
青のりが歯茎の隙間にはさまってしまった。
あ、青のり、と思って歯ブラシで掻きだそうとしたら、かえって歯茎の隙間に押し込むことになってしまい、歯周ポケットの奥の方へと青のりが沈んでしまったのである。
鏡で口元をニッとすると、下の歯の歯茎部分に、うっすらと青のりが透けてみえる。すごおく、嫌な気分になる。ちょっと歯ブラシを斜めにして、しつこくブラッシングしてみる。なかなかとれない。しまいには磨きすぎで血が出てきてしまい、結局、泣く泣くあきらめることにした。青のりは、半透明の歯肉の奥に、眠るように沈んでしまったのである。
そういえば以前にも、同じ状況に陥ったことがあった。あれよあれよ、という間に青のりが歯茎の奥に入ってしまい、でもそのときは慌てて爪楊枝を使って無理やりほじくりだしたので、青のりは無事とれたものの、歯茎をちょっと痛めてしまった。
だから今回はそんな暴挙には出ずに、しばらく静観することに決めた。特に放っておいても虫歯になることはなさそうだし、悪臭を放つようなことにもなりそうにないし、案外、そのうち気まぐれに出てくる可能性も高そうなので、いっそ青のりのことは潔くあきらめ、忘れてみることにしたのだった。でも念のため、青のりが挟まった日付は手帳に記しておいて、あまりに長く居座り続けるようなら歯医者に行くことも選択肢に入れておいた。
―と、割り切ったつもりでいながらも、やはり翌日になっても青のりの様子が気にかかった。歯磨きのたびに口元をニッとして確認すると、青のりはうっすら大きさそのままそこにいる。すっかりそこに安住しているかのようで、ちょっと不安にもなる。薄ピンク色の歯肉のなかに、苔色のかけらが紛れている。
見ていると、つい、ため息がでる。嫌だなあ、と思う。なんで押し込んじゃったんだろう、と後悔もする。でも我慢する。ここで下手にいじると、また歯茎を痛めるか、さらに押し込む可能性もあるからだ。いま、私は忍耐力が試されている、といったら大袈裟かもしれないけれど、そんな心持ちで青のりのことを忘れようと、私はそっと歯茎から目をそらした。
そのうちでも、自然と青のりのことは忘れていった。挟まっている違和感が特別あるわけではないので、日々の生活に忙しくしているうちに自然と気にならなくなったのだった。でも数日経った頃、ふと思い出して歯茎をみると、青のりはあるのだけれど、若干サイズが小さくなったような、位置が移動しているような…。ともあれ、ここは急がば回れ、ということで、焦らず青のりのゆくえを見守ることにした。
そして青のりが歯茎にもぐりこんで十日目の朝。
見ると、青のりは小さなホクロ程度の大きさにまで小さくなっていた。あ、とすこし感動した。そのうち出てくるかと思っていた青のりは、だんだんと溶けていったらしい。もう、なくなるな、という予感がした。そして歯磨きをし、念のためマウスウォッシュもして、小さな点になった青のりをじっとみつめてみる。たぶん、今日のうちにでも消失するだろう。そして予感どおり、その夜、歯磨きのあと歯茎をみると、青のりは消えていた。まるで最初から何もなかったかのように、薄ピンク色のつやつやとした歯茎のみがそこにあった。幻のように青のりは消えてしまった。
不思議とやり遂げた感があった。焦らずにいた自分を褒めてやりたくなった。そして、なるほど、と思う。気になる嫌なものも、緊急性がないのであれば、いったん忘れて流れに任せてみるのも良案なのかもしれない、と、そんな知見を得たのだった。
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