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素敵な花束

花屋の色合いも最近すっかり秋めいてきた。夏の頃にみた鮮やかな色彩からトーンを落とし、深みのある色の花々が軒先におとなしく並んでいる。それらには落ち着いた雰囲気があり、秋の花屋の色合いもまた素敵に思う。

そんな秋の気配漂う花屋に先日立ち寄り、家に飾る花を選んでいると、
「…あの、すみません」
と声がした。

見ると、二十代前半くらいに見える男性が店員さんに声を掛けていて、贈り物用の花束を見繕ってくれないかとお願いをしているところだった。店員さんはその様子からすぐに察したのだろう、「お相手は女性の方ですか?」と尋ね、彼もまたすぐに「はい、そうです。〇千円くらいでお願いできますか?」と少し恥じらう様子を見せながらもそう頼み、店員さんと一緒に花を選び始めた。

清潔感のあるシンプルな装いのその青年は、あまり自分からは「コレがいい、アレがいい」と花の選別についての指示は特に言わずに、でも店員さんが勧める花を慎重に検分しながら選んでいるようすだった。

私もそばで花を選びながらも、なんとなく気になって彼らの花束の行方を見守ってしまう。そしてほどなくして出来上がった花束をみて、心のなかで感嘆の声をあげた。わあ、なんてきれいな花束!と。

橙色や深紅色など、秋らしい落ち着いた色でまとめられた花束はちょっと無造作にも思えるような絶妙な配分で束ねられており、ボリュームも横に広がるというよりは縦に伸びるようなかたちで、とてもセンスの良い花束に仕上がっていた。

なんて素敵な贈り物なのだろう、とそばで彼と花束を見比べながらそう思った。というのも、その彼の花を選ぶ姿勢にはふんわりした優しい雰囲気があり、だからなのか、花それ自体が自然な美しさを遺憾なく発揮しているように見えたからだった。

もし自分がその貰い手だったら、とても嬉しいだろうな、と思った。仮に、気合いの入りすぎた立派な花束だとか、何かを必死に伝えたいがゆえにこだわりすぎた花束だったとしたら、自分の場合、たぶんちょっと重く感じる。けれどその素敵な花束からは軽やかさと温かみのようなものが感じられ、それはつまり、彼自身の気持ちの押し付けや期待のようなものが、余計な重さとして、花束に一切付着していないからなのだろうな、と思った。だからきっと、その花束を受け取る人の心には、純粋に彼の思いやりだけがまっすぐに届くのだろう。ふんわりとした、優しいものとして。

秋の花を買いに花屋に入ったら、偶然にもそんな様子を眺めることができて、なんだか良い光景をみることができたな、と、自分が貰い手でもないくせに嬉しい気持ちになってしまった。

あとこれは完全に余計なお世話だけれど、もしその花束を贈るのなら、ぜひともアクセサリーだとかお菓子だとか、他のものを補足的に添えずに贈ってほしいな、と思う。その素敵な花束、それだけを贈る方が断然、気持ちが伝わると思うから。

でも、そんな押し付けがましいお願いをしなくてもたぶん、その彼ならきっと、シンプルにその花束だけを心を込めて、相手にまっすぐに贈ることができるのだろうなあと思う。


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