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カフェのトースト

天気の良い日。カフェに行ってトーストセットを食べてきた。
シンプルなトーストにバターとはちみつ。それだけなのに、なんでこんなにおいしいのだろう、と思う。カフェのトーストって、なんだかおいしい。昔はトーストなんて、家で食べようが外で食べようが変わらない、と思っていたのだけれど、一度カフェでトーストを食べてみたら家で食べるよりもずっとおいしくて、以来、トーストこそカフェで食べるべきではないのかと思うようになってしまった。

たぶん、日頃、家ではほぼお米派なので、単純にたまに食べるトーストとやらに格別感を覚えてしまうのもあるのかもしれない。それにやはりお店で出されるものは、パンの種類や焼き方、お供にも何かしらの工夫があるのだろう。けれど、カフェで食べるトーストにはさらにそれらに加えて、その店の空気なり環境なりが特別な作用をもたらしているような気がしてしまう。

たとえば、お気に入りのカフェの落ち着いた席で、耳に心地よい音楽が流れるなか、窓の外の景色をぼんやりみながら、あるいはただただくつろぎながら食べるトーストは、今のところ外れなくおいしい。シンプルだからこそ、環境の持つ味のようなものがダイレクトに自分の舌が味わう感覚に影響しているのだろうか。

もちろん、実際にカフェでトーストを食べているときにはそんなことなど一切考えず、ただムシャムシャとおいしいなあと思って食べているだけなのだけれど、改めて振り返ってみると、おいしいトーストを出してくれるカフェは、どこも自分の家では味わえない心地よい時間を提供してくれるカフェばかりなのだった。つまり、トーストプラス環境セットで「ああ、おいしい」なのである。

ならば他のメニューでも同じような気がするけれど、トーストの場合、それが顕著な気がするのはやはり、自分が家でトーストを頻繁に食べていない人間だからなのかもしれないし、トーストという味わいのシンプルさがもたらしているものなのかもしれない。とにもかくにも、カフェで食べるトーストはおいしい。ただ、それだけなのです、笑。

でも不思議なのは、お米に関しては家で食べるものの方が、自分の場合、外で食べるものよりもおいしく感じてしまうところだ。ただの普通の炊飯器で炊いたご飯なのに、家で食べるお米がどこよりも一番おいしく感じられるのは思うにおそらく、お米については日頃慣れ親しんだマイお茶碗とお箸でもって食べているからかもしれない。ほっと安心できる馴染み感というのか、くつろいでいる感というのか、それらが普通のお米をより味わい深いものにしているような…。

となると、味わう上で重要なのは口に触れる道具ということになるのかもしれないけれど、いや、でもトーストのことを思えば環境が大事なような気もするし、いやいや、やっぱり最も大事なのは材料や調理の仕方のような、いやいやいや、というか全部でしょ。

…と、結局、脳内会議では結論は出なかったのですが、家でもカフェでも、ひとまずおいしく幸せに味わえるなら、それだけで全部ハナマルなのでした。


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