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しあわせなふたり

先日、電車に乗って、窓からの景色をぼんやり眺めていたら、空き地のフェンス越しに立つ親子の姿を見かけた。三歳くらいの子供がフェンスに手をかけ、夢中になって電車を眺めている。父親はその背後からそんな我が子の様子を微笑ましく見守っている。なんともほのぼのとした光景だな、と思いきや、そのフェンスに手をかけて電車を眺めていたのは実は犬なのだった。

立つとちょうど三歳児くらいの背丈の犬が、フェンスに前足をかけ、興味津々、電車が行くのを目で追っている。車窓からとらえたほんの一瞬の光景だったのだけれど、本当に人間に見間違えそうな姿のワンちゃんで、思わず「かわいい!」と胸のうちで声をあげてしまった。

たぶん、その犬は、電車を見るのが好きな犬なのだろう。そして飼い主さんもそのことを十分理解していて、愛犬の趣味に付き合っているのだろう。すごくいいな、と思った。そういう関係って、すごくいいっ、と。

そういえば以前にも、そんな犬と飼い主さんの姿を目撃したことがあった。道を歩いていたらガードレールから首を突き出しているワンちゃんがいて、おや、と見ると、その犬は目をキラキラさせながら車道を行きかう車を眺めているのだった。通り過ぎさま飼い主さんと目が合うと、「なんだか分からないけど、車を眺めるのが好きでねえ」と、困ったような顔をしながらも嬉しそうに飼い主さんは話してくれて、どうやら愛犬の興味が尽きるまでずっと付き合っている様子だった。

人間のように何かに夢中になっている犬の姿はかわいいけれど、こうした光景に胸が温かくなるのはきっと、その背後に、こんなふうに犬を優しく見守る飼い主さんの姿があるからなんだろうと思う。犬の気持ちをちゃんと尊重して付き合う飼い主さんの思いやりというのだろうか。

我が家にもかつて愛犬がいたので、そうした飼い主さんの気持ちはよく分かる。大事な子のためなら出来る限り何でもしたい気持ち。愛犬が喜ぶ姿を見ているだけで、こちらもその倍以上の喜びを感じてしまうことも。こんなふうに、愛犬と喜びを分かち合える時間を持つことはたぶん、愛犬のためにもなるし、自分のためにもなってくれる。

というのも、愛犬はやっぱり悲しいけれども、大抵の場合、自分より先に逝く。どんなに長く生きたとしても、それでも人間の平均寿命と比べるとすごく短い。愛犬を亡くしたとき、そんな当たり前のことを自分はひどく痛感してしまった。どんなに愛犬と楽しい時間を過ごしてきたとしても、あとになれば、あれもすればよかった、これもすればよかった、と悔やむことも当然あったし、気持ちが沈んで、今でいうペットロスという状態に陥ったこともあった(その単語はあまり好きじゃないけど)。けれど時間が過ぎて、心を励ましてくれたのは他の誰でもなく、愛犬と過ごした輝かしい思い出だった。その輝きとはつまり、愛犬が幸せを感じていた姿であり、喜びを感じていた姿であり、愛犬の笑顔なのだった。

きっと、愛犬も肉体を離れて天国に旅立つとき、愛されていれば、持っていくのはそうしたキラキラした記憶なのだろうと思う。だから元気でいてくれるうちに、一瞬でも長く喜びの時間を共有することは、愛犬のためにもなるし、いつかの自分のためにもなってくれる。

だからだろうか。つい、幸せそうなワンちゃんとそれに対して協力的な飼い主さんの姿を見ると、部外者のくせに勝手に嬉しくなってしまう。だって、そんな姿は、ふたりで美しい贈り物を贈り合っているような、そんな愛ある光景に見えてしまうからだ。


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