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古本の気配

 古本を生まれて初めて購入した。

と言ったら驚く方もいるかもしれないが、本は好きだけれど古本を購入したことは今の今まで一度もなかった。というのも、本に限らず、人がずっと所有していたものを譲り受けるのがどうも苦手だからだ。環境にやさしくエコではありたいけれど、この点に関してはきっと、自分はエコではないのだろうなあと思う(自分が不要になったものについては、寄付したり売ったりしておりますが)。

なぜ苦手なのかというと、誰かが長く所有していたものには、その誰かの気配がまとっているような気がするからだ。温度、といってもいいのかしれないけれど、目にはみえない何かを内包しているのを勝手に感じてしまって、なんとなく落ち着かなくなってしまうのである。もちろん、漫画みたいに物を触ったら、その所有者の何かが分かってしまった、なんていうことはないのだけれど、なんとなくモヤっとした得体の知れない気配を感じてしまう、
―ような気がするのだ。

もしかしたら、自分のいらない想像力、あるいは妄想力のせいもあるかもしれない。学生の頃、当時、古着が流行っていて、自分もそのときはちょっと挑戦してみるかと思いたって、一度だけ輸入古着を扱うお店でウールのスカートを購入してみたことがあった。しかし家に帰って履いてみると、ゾワッとするような寒い感覚が走り、呼ばれるように視線を落とすと、金髪の長い髪の毛が一本、だらーんと布地にはりついていたのである。

「…え?」と、その毛をつかみとって眺めながら、ふっと、「元の所有者って、生きてる?」という疑問が胸に浮かんだ。もしくは「強い思いが残ってる?」なんてことまで。そしたらとてもではないが、そのスカートを履くことができなくなってしまった。ノイローゼと思われるかもしれないが、でも実際、どうしたって気分が落ち着かなかったのである。自分が試着しなかったのも、店側が売る前にチェックしていなかったのも問題だけれど、やはり自分は古いものは苦手だな、と思い、以来、古着および古いものを買うことは自分の選択肢のなかから完全に消えてしまった。

しかし最近、フリマサイトを何気なく覗いてみたら、自分がずっと探していた本をみつけた。その本はもう電子版しか売っておらず、紙のものは販売終了となっていたので諦めていたのだけれど、みつけたそれは比較的状態が良さそうで値段も手頃。出品者の雰囲気も画面越しに伝わってくるものだけでいえば、なんとなく良さそう。古いものでも本なら大丈夫かな…、ということで、今頃になってようやく生まれて初めて古本を購入してみたのだった。

しばらくして届いたものは、思っていたよりもきれいで、出品者の対応も丁寧だったので一安心した。けれどやはりその本をさわると、よその家の気配がかすかにする。ページをめくれば温度も残っている(ような気がする)。自分が所有する本のなかに置くと、ゆえにその本だけが転校生みたいにソワソワ馴染まない。だから最近、その本を繰り返し触って、意識的にたくさん読んでやっている。すると徐々によその家の気配がとれて、我が家の気配をまといはじめる。まるで転校生がゆっくりとクラスに馴染んでいくように。

そうか、こんなふうにして古いものは時間をかけて、姿そのまま、新たな場所に適応していくのだな。なんて、そんなささやかな発見をしながら、日頃新品を購入したときよりも手厚いもてなしを今、その古本にしているところなのだ。


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