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ぐだぐだの効用

ぐだぐだしている。まるでやる気が起きない。
ここ数日、本当になんにもする気が起きなかった。

でもまあ、生きているとたまにそんなときもある。そんなとき、どうやり過ごすのかはそのときの気分次第だけれど、どうやり過ごすのかを考えるのもまた億劫になるほど、ここ最近は無気力になってしまっていた。

たぶん、頭のなかがごちゃごちゃしていたせいもあるかもしれない。アレもしたいしコレもしたいけれど、何から手をつけたらいいのだろう、とか。理想と現実のせめぎあい、とか。これからどう進んでいくのがよいのかな、とか。

こういう場合、頭で考えずにとりあえず動けば前進する、ということは分かってはいるのだけれど、心も体もとりあえず今は何もしたくないよー、という。

それでひたすらぐだぐだしていた。ぐだぐだしながら、ぱらぱらっと本を読んだり(でも頭に入らず)、なんとなく音楽を聴いたり(全部聞き流し)、しまいには甘いものをだらだら口にしたり。つまりは怠惰である。

まったくもって意味ない時間を過ごす。でも意味ない時間っていいなあ、とも思う。いちいちすべてに意味なんてものをつけていたら、たぶん、疲れてしまうから。意味ない時間。何の生産性ももたない時間。そんな時間もたまには必要だなあ、なんてふうにも思う。

そんな意味ない時間をここしばらく過ごしながら、ふと、現実って何なのよ、と思った(唐突ですが)。理想と現実のせめぎあい、なんてことを口にしながら、じゃあ、その現実って何だろう?と思ったら、それってつまりは自分の思い込みなのではなかろうかと。自分の思う現実が今、目の前で展開しているわけだけれど、でもそれって、皆の現実と同じかといったら、必ずしもそういうわけではない。現実ってツライよなあ、なんて例えば思っているならば、ちょっと自分を疑ってみる必要がある。その現実、本当にあなたの望む現実なの?と。

まわりくどく書いているけれど、要はぐだぐだしていた最近の自分のやる気のなさは、ある意味で現実逃避なのでした。明確な理由なく、なんとなく現実らしきものに疲れてしまって、何もしたくなってしまったというのだろうか。

でも逃避してみて、いったん頭を空っぽにしてみると、自分が勝手に「これが現実なのだ!」と描いているものがあることにふと気がつかされる。世の中にある定型のストーリー展開とか、常識らしきものとか、そうしたものに知らぬ間に自分が囚われていることに気がついたり。つまり、現実という名の幻想に囚われているような。ならばいったん全部をリセットして、もう一度自分なりの現実を調整して、見直してみるのもいいのかもしれない。

なので、現実逃避もぐだぐだも、まったくもって悪いもんじゃない。これからどうなりたいのか、自分の望む現実は一体なんなのかを調整する良い機会なのかもしれないのだから(でもそんなことも一切せず、全力でぐだぐだするのも最高に素敵だと思う)。

ひたすらぐだぐだ過ごす意味ない時間。ほんと、物事にいちいち意味なんてつけなくてもいいとは思うけれど、でも結局のところ、意味ない時間を過ごすことが、生きるうえで尊ぶべき意味ある時間になるのかもしれないなあ、なんて思う今日この頃なのでした。


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