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冬至が待ち遠しかった日々

ここ最近、急激に寒くなってきた。

子供が生まれてから、季節の移り変わりに敏感になったな、と思う。いや、より積極的に意識するようになった、というのが正しいか。Eテレの子供向け番組も、春になれば木々が芽吹き、梅雨が来ればカエルが飛び跳ね、夏は海に出かけ、秋になれば落ち葉で遊び、冬には大きな手袋で温まる。世の中の、ニンゲンの営みを知らない状態で生まれてくる子供にとって、季節は一番最初に感じる、身近に起こる変化。その変化に目を輝かせる子供を見ていると、もっと色々なものを見せてあげたい、という気持ちが強くなり、自分から「季節のしるし」を探して歩くようになった。子供と一緒にタンポポを摘んだり、セミを捕まえたり、ドングリを拾ったり、霜を踏んでみたりした。(もちろんそれが苦痛なこともある。タンポポを愛でた後にムシャムシャ食べ始める娘を制止したり、虫かごの中で蜜な状態で蠢くセミたちにゲンナリしたり、ドングリからいつ虫が出てくるかと怯えたり、、)

それと、季節が巡るということは私にとってもう一つ、わりと大きな意味がある。同じ季節の過去を思い出すことにつながるのだ。あの時の感覚を肌が覚えている。それを風が連れてくる。そんなわけで今年もこの季節になり、私は4年前のことを思い出していた。

4年前の9月中旬、忘れもしない1本の電話がかかってきた。区役所からだった。声の主が名乗った瞬間、何の要件かわかってしまったので、全身が緊張したあの感覚を今でも覚えている。「ご希望の保育園、空き枠が出ましたので、来月から登園できます。どうされますか?」娘はその年の4月の段階で保育園に入れず、待機児童になっており、育休を延長して半年が経過した頃のことだった。空きが出たからには今すぐ入園しないと、また他に空きがいつ出るかわからない。答えは100%決まっている。が、「はい、お願いします」と答えるまでのその少しの間が永遠に感じるほど、答えをためらい、声を出したがらない自分を抑え込み、無理やり声を絞り出したとはっきりと自分でわかるほど、脳は拒否していた。娘を保育園に預けるなんて、と。保育園の申請を出すときに、私の親は娘に対し哀れみの視線を送り、私に対しては、子供を置いて仕事に行こうとしている鬼め、と言わんばかりの視線を送ってきた。娘が0歳の時にできたママ友には専業主婦もいて、預けるんだね、と心なしか(そう見えただけかもしれないけど)哀れみの目を向けてくる人もいた。一方で、希望の保育園に入るための点数稼ぎで早いうちから預けている人、子供は最初は保育園嫌がるけど、結局いつの間にか楽しんでるから大丈夫!と言ってくる人もいた。そして私自身はというと、1人目の育児に大変苦労していた。(とにかく食べない、体が小さい、、など、いつか書きます)でも、周りのうるさい情報を振り払い、育児の大変さをいったん忘れたとして、何もない自分から出てきた言葉は「やっぱり預けたくない」だった。

娘はこの段階で預けるのは早すぎた、というのはあとになってわかったことだ。いや、そう考えているのは私だけで、なんだかんだどうにかなったじゃん、と大抵の人は言うかもしれない。でも、子供にはやはり一人一人の成長のタイミングがあって、娘に関して言うと、1歳と8か月で集団生活というハードルを越えるのは無理があった。まあ、事前にわかっていたとして、何かが変わったかというとそれもわからないけど。

生きていれば、いくら「やりたくない」と心が叫んでいても、無心になって任務を遂行するのはよくあることだ(毎日起きて、毎日仕事に向かうように)。この時も心の声とは裏腹に、怒涛の入園準備ののちに慣らし保育が始まり、あっという間に復職となった。娘は早生まれで体も小さく、身の回りのことを自分でやってみたい、という意識が極端に薄く(これはのちに生まれた息子がさっさと自分で靴やズボンを履くようになったのを見て、「子供によって異なる個人の気質」なんだとやっと理解できたんだけど)保育園での生活に慣れるのは母子共に本当にしんどかった。今日もずっと泣いてました。ご飯は2口しか食べませんでした。お昼寝は5分でした。コップは持てないんですか?靴を自分で履こうとしないんです。毎日伝えられる園からの指摘にすっかり参ってしまった。お迎えに行くたび、なんで今まで一人にしてたんだ、と言わんばかりに泣いてくる。さらに悪いことに、季節はすっかり寒くなってきた秋。本来4月入園なら、春特有の切なさはあるにせよ、段々と暖かく明るくなっていく気候に少しは励まされたのかもしれない。でも復職となった11月は、お迎えに行く頃にはすっかり真っ暗になっており、保育園の灯りが余計に寂しさを演出していて、気持ちはすっかり沈んでしまった。1歳半を過ぎていたけど自分で歩くのを嫌がり、背中には仕事で持って帰ってきたパソコン、おなかには抱っこ紐に包まれた娘をぶら下げながら、暗い道を歩いた。娘は先生から教えられたのか、「ハハワ、オチゴト」というセリフを念仏のように繰り返しており、それがさらに胸をえぐってきた。(ちなみに娘は3歳くらいまで、パパを父、ママを母と呼んでいた)ああ、もっとこの道が明るかったら良かったのに。もっと日が長ければ良かったのに。そうだ、もうすぐ冬至。そこまで行けば、縮んでいた日は反転して長くなる。とりあえずそこまで。

人生であんなに指折り冬至を待ったのは、きっとあの年しかないだろう。もう5歳半を超えた当の本人は、ねーねーわたし保育園行きたくないって泣いてたんでしょ?ぎゃーって。とすっかり覚えていない様子だけど、この秋の空気に触れると、まるで圧縮された布団袋を開けた時のように、あの時娘と一緒に聴いていたEテレの歌や、20キロくらいの重たい何かを背負って歩いた夜道や、毎日頑張っていた小さな手のひら、そして、これでいいんだろうかと自問し娘に対していつも申し訳なく思っていた気持ちが、ふわっと目の前で大きく広がるのだった。

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