家族との関係①ユリコさんの場合


人に歴史有り。これは、ばあちゃん達から学んだ。

時代時代で教育が違ったり、日本国民として信じる物が違ったり。どう生きて来て、こう仕上がったのか。私は、それに興味が有るのかもしれないな。

例えばユリコさん(仮名)人に話を合わすのが上手で乗っかり上手。社交的で人に何かをしてあげる事が良い事なんだと、私達に語る。口癖は「かわいそう」

例えば足が悪いお年寄りに「手を貸してあげなくていいの?かわいそうじゃない」

例えば目が悪いお年寄りに「声を掛けなくていいの?かわいそうじゃない」

「ここは本当に良い所ね!意地悪や差別する人が居ないもの。みんなニコニコしてるの。一人くらいいるのよ、どこにでも意地悪をする人が!」

「やっぱり皆で食べるご飯は美味しいわね!」

この4つの彼女の言葉の中に、本人が、どう生きて来たのか、情報が沢山詰まっています。

ケアをされている方、分かります?

「かわいそう」という彼女の言葉から感じられる感情は、本当に心を寄せて言っているのではなく、同情寄りの感情で、人に何かをする事が良い事だという教育を受けている。上から目線の意識が有る。

共に同じ目線で、というよりは、して「あげる」事が美学だという教育を受けている。

意地悪をする人が居ない→意地悪をされた事も、した事もあるから出る言葉。深く見ていくと、した事で深く後悔もした事がある経験を持っている。

皆で食べるご飯は美味しい→一人で食べるご飯の味を知っているから出る言葉。

「お年寄りでも自分で出来る事は、自分でやらせなくちゃダメ。出来なくなっちゃうから。」

これも、そういった人を見た事がある証拠。

でも本人にお願いすると、面倒くさいって、やってくれない。何故なら、自分は、この中の年寄り達とは違うと思っているから。自分が、やらなくても、そう言えば許されてきた環境に身を置いた事があるから。

本人から聞く彼女の背景は、大きな家のお嬢様育ちであること。戦時中は北陸地方へ疎開に言っていたこと。疎開先では、先生からチヤホヤされた事。遅くに出来た末っ子だったので、とても可愛がられた事。動物は何も喋れないから可哀想。人間が面倒を見てあげなくちゃいけない、と常に語る動物好きな事。

ユリコさんにはお子さん(50代)が2人居るが、ふた月に1回来るか来ないか。

息子さんに限っては1年に1度、顔を見せにくるレアな息子さんだった。娘さんは、始めの1年位は、電話をしないと施設に来てくれなかった。ユリコさん本人も、お子さん達が来ない事が馴れてる感じだった。

まあ、そういう親子関係だったのだろうな、だいたい、フツーの家なんか無いよな、位に思っていたが、入所して1年が過ぎた時、娘さんと息子さんから衝撃的な事実を伝えられる事になる。

ユリコさんの人生の履歴について。


続く