言語が、違う。
これは前職で「町工場から自社ブランド・自社商品を」というプロジェクトに関わっていた時に
デザインプロデューサーがよく話していた言葉だった。
言語が違う。
言語が違うと話がかみ合わなくなったり、相手の言う話の意味はわかるが意図がわからなかったりする。
自社ブランド・商品を作った先には、「売る」という過程がある。
製造力がある工場では、モノとして良いものができても、
特に消費財として作る場合には、消費者には届かない。
そこのところの言語がなかなか通じないとか、やっと通じてきた、とか
プロデューサーが帰りの車の中でポツポツ話してくれたりもした。
これは町工場が悪いでも、プロデューサーがえらいでもなくて、
(熱と技術がある町工場だったし、プロデューサーはとんでもないデザイナーで、双方凄い人たちだったのです。)
ただ育ってきた環境が違うから、「え?何言ってんの?」が起こるだけのこと。
SMAPもそう歌っている。セロリね、美味しいと思う。私は。
お互いにお互いを学んで、歩み寄れば何となく言語があってくるだけの話だし、
そういう風景はちょこちょこ見てきた。
これはどうも、研究開発→事業化にも当てはまるらしい。
こういう凄い研究成果が出ました、これビジネスになるんじゃないか?となった時に、
研究と販売の道中には考えるべきことが、それはそれは多くある。
安全性は?コストは?どこで作るの?保守は?メンテは?
研究者とは、ここの言語が通じないことはよくあるらしい。
ものをつくる、最終的な出口は誰かに買ってもらって使ってもらうことだけど、そこを担う営業だったり販促だったりが、言える情報は
研究者「だけ」ではあまり持ってこないということはあるあるらしい。
そこも言語が通じない。
だから翻訳者が必要になる。
この翻訳者がいるかいないかで、研究成果の事業化の進み方が大きく変わってくる。らしい。
研究者の本分は研究なので、無理くり事業を起こさなくてもいいんだろうけど、
もし事業をやってみたい、となったとき、自分ですべての言語を話せるようになるのか、翻訳者を仲間に入れるかのどっちかなんだろうな。
言語が違う、というポイントをどう乗り越えるか。
そこはそれぞれだけど、商品開発にも研究発事業開発にも同じ課題はあるのだな。
ということで(?)研究の次に来る「つくる」を理解すべく
以下本を読み始めました。
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