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「ハモネプした」の話

ハモネプにでました!まゆきちです!

各方位への愛、溢れすぎて文章にしたくなったので、noteを始めてみました。ハモネプ出たことについて綴りたいと思います。

というかアカペラにどう向き合ってきたかみたいな、頑張った自慢です。長いし完全に自己満なので気になった人だけ読んでくれたらうれしいです。気を悪くしないでね。


私は小学生の頃、それはそれは大変なハモネプオタクでした笑

携帯の着メロをアルテマさんのアポロにしてました。習字教室でマナーモードにし忘れて大音量で「ぼっくらの〜う〜まれてく〜る〜」と健さんが歌い始めてしまい大変恥ずかしかったです。

放送後は1、2ヶ月くらい、録画を毎日見てました。CMまで覚えてます、いいちことか、「と〜ろり〜んちょ」ってなんか梅酒?とか(共感者求)。

大学生になったら絶対にハモネプでるぞ〜!と思っていたし、なんなら小学校で友達集めてやろうとしたこともありました、なつかしい。


中学校になって芸能人ハモネプしかやらなくなってつまらなくなって見るのをやめちゃって、当時はファンモンのガチファン(BABYSっていいます)をやっていました。オタク気質すぎる。

高校生になってからはハモネプの録画をたまに見返すことはあったけど、あかぺらのことはすっかり頭から抜け落ちていて。 

そんな時に出会ったのがL’espoirでした。

高1の夏、オープンキャンパスに行けと課題で出されていたのですが、部活の合宿が丸かぶりして、何故か日程が他の大学やキャンパスとはかぶっていない立教大学の現代心理学部のオープンキャンパスに「新座ってどこだよ…」とか思いながら行きました。

その頃丁度2015年ハモネプ開催するよ!て発表直後とかだったので、ハモネプへの熱は高まっているとはいえ生でアカペラを見たことはなかった時代。「ハモネプ」が好きなのであってまだ「アカペラ」が好きだったわけではありませんでした。

オープンキャンパスで学校内を歩き回っている時に、アカペラしてる人たちがいて。遠くからこっそり「ハモネプでる人たちとかかな…!」とか母と話しながら見てたら声をかけてくれて、近くで聴かせてもらいました。それがL’espoir所属のゆるめしあんず。

ゆるめしあんずが、ゆずの夏色と、aikoのbeatを歌ってくれて、これがなんというか、すっごく好きなアカペラをしていて、アカペラってすごくいいな!!!と、この時に大学でやっぱりアカペラやりたい!と改めて思いました。

そしてゆるめしあんずに仲良くしてもらった単純私、絶対立教入ってこの人達の後輩になる!と、高校一年生、初めてのオープンキャンパスで志望校を決定しました。


そしてハモネプ2015。

無糖ホワイトと背徳の薔薇とマーベリックスが超好きでした。もともとつい廃気味だった私、ハモネプのことをリア垢で呟きすぎて恥ずかしくなってきたので、この日にアカペラ用のアカウントを作りました。今の本垢・まゆきちはハモネプ2015の日に生まれました。

アカペラってTwitterで色々やってるんだな!と学んだ私は好きなグループをひたすら探していました。え!まだグラコロンて活動してるの!?しかも無糖と共催!?ということを知り、勢いで参戦。2015年12月29日、無糖ブラコロン。

写真とっていいの!?終わったあと喋れるの!?一緒に写真撮ってくれるの!?と驚きの連続で、グラコロンも無糖もカッコ良すぎて、そこからは沼。アマチュアなのにこんなにファンがいてキラキラしていてかっこよくて、私もなりたいと強く思いました。

高2は1年間2週間に一回のペースくらいでなんかしらのライブに行ったりしてました。グラコロンに関してはライブのために初めての大阪遠征もしました。ゆうちゃん連れてってくれてありがとう。

色々なバンドさんに出会っていく中で、ようやく気づいたこと。ハモネプで使われてなかなか反響が大きくて面白かったのですが、「アレッ私うたヘタだな」ってやつです。

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友達が撮ってくれててワロタ

そういえば女の人のパーカスっているっぽいじゃん?ということを知り、ノリでボイパを始めてみることにしました。PiCOのゆかなさんが大好きだった!(昨日Twitterでハモネプをきっかけにこれを伝えられて本当に幸せな気持ちになりました)

この頃にはもうどうしたらスターになれるかだけを考えていました。

だから下手にコーラスで頑張るより、女子ボイパって珍しいから見てもらえるかも!とかも思って始めました。案外すぐ音が出るようになってそこから楽しくなって、友達誘って私がボイパでアカペラして文化祭出たりとかしました。リボース。懐かしい。

あと、とにかく有名アカペラーになりたくてなりたくて、有名グループをずっと分析してました。

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↑高校の時に作った人気バンドの分析ノート。内容は恥ずかしいので見せないけど結構的を得ていて、見ているだけだった頃にこれに気づけていた自分、ガチすぎ…と思います笑笑

Twitterの使い方とか、衣装、MC、選曲、ステージングなど、私は女子ボイパになるから上手さよりもそういうところで頑張るべきだなと思って色々考えていました。ボイパの目標は「上手くなくてもいいから、男子の中に混じったときに普通といわれるレベルになる!」でした。

あとやっぱり個人での知名度があった方がいいだろうな〜と思って、こういうことを沢山一緒に話していた当時の聴き専友達・あすかと高校生でライブ主催やった経歴ほしくない?ということで、大学生とか社会人とか集めてライブ主催もしました。高2の冬。このライブすごくて、サイマジとかDIVA!!とか出てくれたんですよ。結構自慢。

高3になったら受験一色。ずっと変わらずL’espoirに入りたくて、立教大学しか見えてなかった。レスポのライブとか沢山行って、先輩と仲良くなってレスポ入りますって宣言して、絶対に落ちれない状況を作りました笑

指定校狙いだったけど、無理そうだったからちゃんと一般受験の勉強超してました。学部によるけどB判定出てた、一年生の最初頭悪すぎて偏差値40代とかだったことを考えるとすごくない?

でも、一年生の夏から立教心理絶対行く!って言ってたからか、評定超ギリギリだったのに他に誰も志望出さなかったらしく、何故か指定校取れて受かってしまい嬉しいより驚きが先に来ました。願って努力したら叶うもんだね。


そしてやっと大学生!(ここから書きたいことが本番になります)(前置きなっが!)

まずL’espoirは本当に本当に大好きだけど上手くも強くもないことは2年強のアカペラオタク生活で勘づいていたので()、ジェントルマンハッタンやたなみここしがすきだったこともあってChocoCrunchに兼サーを決めました。

1年生の思い出はやっぱりアカスピnewcomersです。スノードロップっていうインカレギャルバンと、MAKILONていうちょこくらんちのギャルバンで応募しました。あ、れすぽで組んでるナナイロも一応出してはいました。

スノードロップで出ることが大本命だったのですが、なんかノリで出したMAKILONが受かっちゃって正直嬉しい!びっくり!なんで!?笑という気持ちでした。

東日本予選で落ちちゃって、でも審査中actとして全国大会のステージに立つこともできました。楽しかった。

あとはやっぱり個人でも名前売りたくて50Fesのスタッフに早い段階で応募して、りょーたさんに助けられながら同期会主催とかもしました。色々あったけど。

2年生になったあたりで初めて、私このまま行くとスターになれないっていうことに唐突に気づきました。

まず個人としての技量とかを頑張っただけじゃ、バンドとして知ってもらえることにはならないっていうことに気づいたんです。6人でやるアカペラなんだから当たり前なんだけど。

しかもシンプルに私そんなにボイパうまくない。

そして私が分析してきたことを一緒に考えて実行してくれたり、そもそも同じビジョンを持っている人が周りにいなかった。これについてはいろんな見解があるし誰が悪いわけでもないので、気が向いたらまた書きますね。

1年生の最後に観に行ったアカスピ全国大会の、ケミカルテットの演奏がどうしても忘れられなかったんです。なんというか、完成されていて、安定感もあって、100点を何度も安定して出し続けられるようになるまで練習してきたんだろうなという演奏。

私はあれになりたかったけど、ああいう風になれないんだろうなと思ったら、悔しくて悔しくて仕方なかった。環境のせいにするのなんてダサいけど、やっぱ環境も大事だなと思ってしまって苦しかったです。

そんなときに他大で仲良かった子が割とわたしと同じようにアカペラをがんばりたくてビジョンがあって、ということでインカレを組むことになりました。(名前は出すと怒られそうだから出さないけど)

Unionていう合同ライブがあって、それで仲良くなったふーきとうぉんちゃん、L’espoirから大好きなはるちゃん、ミスコンでシンプルにファンになったみわちゃんを誘って、インカレを組みました。もしこのバンドが頑張れないようだったら、私はもう全部諦めてサークルに生きようと思って組んだバンドです。なんでもいいから優勝が目標。優勝するならバラード歌おうっていうバンドでした。これがのちのまんぷく。(やっと出てきた)

最初顔合わせで飲もうってなって集まったら、想像以上に楽しくって。初回でお腹がちぎれるほど笑いました。

初回練習では、一回合わせてみようということで、ちょうどたびともさんが楽譜を公開していたので「明日はきっといい日になる」を歌いました。

すごく初歩的なことだけど、まずちゃんとみんなが音をとってくること。なんならほぼ暗譜まで。勿論歌っていて音が怪しくなることはあっても、最初に「ちょっとまって!音とる!」みたいなことはなくて。これだけじゃないけど、なんというか凄く、同じ温度でバンドに向き合えている感覚があって。

このメンバーでいるのが好きというのは勿論だけど、このメンバーで歌っているのが世界一楽しいかもしれない!と思いました。初回で。

ちょうどその頃ハモネプ開催されると噂が流れてきていた頃だったことと、明日はきっといい日になるが凄く自分たちにはまったこと、ハモネプオタクが2人いることで、最初はバラードとか言ってたのに気づいたら平成のキラキラポップやりたくない?昔のハモネプみたいなのやりたくない?となり、バンド名もちょうどいいダサさを狙って考えて、できたのが「まんぷく」でした。

私は今までスターになりたい!優勝したい!目立ちたい!と思っていたけど、シンプルに、ただ、まんぷくのみんなとずっと歌っていたいと思いました。

だからこそ、丁度今年開催される、本当に本当に憧れで私の夢だったハモネプに一緒に出たいと思いました。

やっぱり私が1番憧れているのはハモネプという舞台だったからこそ、自分の1番の夢に、この人たちと一緒に出たい、私の夢を一緒に追ってほしい。そう思いました。

今までは私がハモネプに出たい、色々なライブに誘われるようになりたい、自分も人を突き動かす存在になりたい、まあそうなるためには私ならこのバンドを頑張ればいいのかな、と思っていたのですが、

まんぷくに対して初めて、私たちから何か伝えられるものがあるんじゃないか、私たちのことを知ってほしい、というかこんなに楽しいんだよ!みんな見て!と思えるようになりました。主語が「私」から「まんぷく」になった。

実際まんぷくの中でもハモネプやアカペラへの思いが1番強いのは私ですし、誰よりも明確にビジョンがあるとは思います。そこに関しては同じ温度にはなれない。でも、私が大切にしている追い続けてきた夢やビジョンを、まんぷくのみんなが大切にしてくれている感じがして、それが凄く嬉しかったんです。

特にL’espoirのはるちゃんに関しては、ハモネプは結構わかりやすい目標だし目指したいって思うとは思うけど、アカスピとかは大学入るまで知らなくて、更にレスポにいたらアカスピだそうみたいなバンドってほとんどないから、別に目指すこともないんですよ。だから正直多分私がアカスピでたいな!とか思うことに対してあまりピンときてない部分もあると思うんです。

でも、私が大切にしているから・まんぷくのみんなが出たいって思っているから、大切にしよう、頑張ろうと思ってくれているのが凄く伝わってきて、ほんとうに嬉しかった。

これだけ勝ちたい!と思っていた私ですが、まんぷくが大好きすぎて、私が大好きなまんぷくをみんなに好きになってもらいたいと思うようになりました。上手いと思われなくていいから、なんか好き!と思われたい。

色々な人が「優勝したいと思う気持ちだけじゃなくて、優勝したその先に何があるのか、なんで優勝したいのかが明確にある人が強いしそれが大切」というのを聞いて、いや優勝したいだろ、学生如きでその先ってなんだよとか思っていたのですが笑、まんぷくに出会って初めてその言葉が理解できました。

そんな気持ちを持ちつつ、ハモネプに応募しました。

コロナの影響で動画が用意できず、散々話し合ってリモートでの動画提出となりました。この過程とか、大学との兼ね合いとか、まあ色々なことがあって、メンバーが1人脱退。その週末に、5人で出演が決定したことを聞きました。こんなに散々愛語っといて、そんなことある?って感じですが、まあ、そんなこともありますよね()

そしてはるちゃんの中高の友達・いばちゃんが加入して再始動しました。入ってくれてほんとうにありがとう。

そこからはもう怒涛の1ヶ月って感じでした。そもそも私たちはまだ組んで間もなかったから、持ち曲が2曲、しかもそのうちの1曲はあんまりはまらなかったから実質1曲しかなくて、番組側からの依頼もあって、予選用と決勝用に新曲を2曲用意することになりました。

うぉんちゃんが超良い楽譜を作ってくれて、2週間で2曲を練習。特に笑顔は最初本気で歌えなくて、笑顔を練習し始めて2回めとかの練習ではピリピリする場面もありました。

本当にみんながハモネプを第一に考えて頑張った2週間。一生分の青春をした気がします。


本番は、なんかもう、本当に楽しかった。大好きな人たちと夢叶えたんだなと、感慨深い気持ちになりました。超泣いちゃった。

決勝進出までできて、本当に大好きな笑顔を歌えて、本当に幸せでした。何よりも本当に楽しかった。

放送を見て、自分が本当に楽しそうな顔をしていて、流石に自分のことを褒め称えました。だからこうして長文にまとめているんだけどね。

さて、流石に長くなりすぎたのでまとめます。

私がこの文章の中で1番書きたかったことは、

まず、L’espoirに入らなかったら良くも悪くもまんぷくはなかったと思います。サークルは大好きだけど、やっぱりアカペラに対する姿勢だったりとかは満足しきれない部分はどうしてもあるから。インカレで頑張りたいと思ったきっかけだし、何よりはるちゃんに出会えたし。本当に受験頑張ってよかった。目標を強く持つって大切だなと思います。

そして、1番は私は夢の叶え方が最強だったということです。これは自慢笑

本気でハモネプに出たいと夢見ていたけど、それに対して、上手いだけじゃ絶対でれないし逆に言えば何か武器があれば超上手くなくても出れる。じゃあどうしたらいいんだろう?と沢山考えていて。

それを一緒に考えてくれて、実行してくれる仲間に出会えて。この人達と夢を叶えたいと思えて、実際に叶えました。多分だけど、勿論ハモネプに出られたらどんな経緯だったとしても嬉しかったと思うんです。でも、本気でこの人達と一緒に出たいし、この人たちと歌っている自分が好きだと思えるようなバンドで出れたことが何よりも誇りです。

アカペラをするにあたって目標は人それぞれだし、目標をかなえることが難しい環境にある人って沢山いると思いますし実際私がそうだったのですが。

ハモネプに出られたことよりなにより、愛ゆえに泣けるというくらい大好きなバンドの一員であることが心から嬉しいし誇りです。うまく言語化できないんですけど、自分がハモネプに出れて嬉しい、という気持ちじゃなくて、このバンドとして出れて嬉しいと思えたというか、主語が自分だけじゃなくなったというのは自分の中で結構大きな変化なんです。そう思えるようになったことが本当に嬉しいです。

これからアカペラを始める人とかに対してだったら、どんなモチベでアカペラするかは各々によるけど、このバンドにいる自分が好きだと思えるようなバンドに出会ってね、と伝えたいです。


こんな気持ちでハモネプに臨めた私は、誰よりも「ハモネプした」んじゃないかな、と思います。タイトル回収。ハモネプの動詞化キモい!て意見すごくわかるけど、敢えてね。

とっても長くなりすぎてしまいましたが、ここで終わろうと思います。沢山の人から影響をうけてこうなりたいと思ってきた私だからこそ、私が誰かの原動力になれれば嬉しいなと思って書きました。読んで頂きありがとうございました。

まんぷくのみんな、まんぷくを好きといってくれるみんな、大好きです!!!!!!!!!!!


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