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2024年2月11日

はじめて写真展というものにいきました、空や海が青くて綺麗なことってどれだけ救いなんだろうと思った、お写真を見て感動するということが初めてすぎて、なんで、どんなふうな感情でなのかはわからないけどずっと泣きそうだった、素敵だったな〜!
深い海と、高い崖のお写真があった。割と昔から、しにたい、が隣に居座り始めてから、深い海や高い崖や山などの大自然に対して、こういう場所でなら綺麗にふわんと消えられる気がしていて、でも絶対にそんなわけないから逆にそういう場所を見た体験を綺麗な傷として生きられるっていう、自分にとっては自然な感情があって、まさにそれを感じられるお写真があってうれしくなってそれをお話ししたら真剣に一緒に考えてお話ししてくれて嬉しかった、生きられる!また好きな人とコンテンツが増えたなあ、こういうひとつひとつのことで生き延びていくものなのかなと思う。

いっかい本当にちゃんと治療してみようと思って毎日のエビリファイの服薬を再開してみました、すこしでも元気に生きていきたいと、ほんの少しだけ思えるようになった。反面、しにたい、と一緒に生きてきたからそれを消すなんていうのは自分にとって自殺行為みたいな気もして、ずっと葛藤はしてる。

でも最近ラランドのサーヤさんや令和ロマンのくるまが好きなことを、純粋なお笑いとして好きでありたいと思った。娯楽を娯楽として楽しめていないことに気づいちゃって萎えてる!もちろん一生懸命なことっていうのは素敵なことなんだけど。彼らにはそれしかなくて一生懸命になっていること、人間関係や性別に対する苦悩、お酒や煙草に頼りながらぱつぱつで頑張っているところ、とか、そういうことが前提にあって好きだなんて虚しい気がする、そんなのお笑いのステージにおいてはいろはすでしかないのに。もっと、面白いものを面白いものとして好きになってみたくなった。
単純明快な人間を心の底から羨ましいと思うようになった、でもあまりにもかけ離れすぎて羨ましさが伝わらないという最悪な感じもあってもう本当にずっと最悪。髪の毛を切ったカワイイ、好きなコンテンツに知り合いが出てきてウレシイ、あの話がすごく笑えた、くらいの解像度で満足できる人間に一回なってみたくなった。楽しいことを楽しいと思えるってうらやましい、数年前の出来事とかをいまだに考えてどうしたら良かったんだろうとか考えたくない、ずっと最悪なんだもん。

ずっと最悪であることが救いというフェイズとか、生きたいとかしにたいとかのフェイズからいつになったら抜け出せるんだろう!本当に抜け出したいのかとかすらわかんない、人生むず!他人の人生なんて負えるのかなー!!?!?

窓がひろいおうちに住んで、空や海の写真を飾りたいとおもった!今日買ったお写真とともに、すこやかに生活できるといいな!

まなみんさんがとってくれた動けなくなっちゃっているわたし


高い崖と深い海のお写真

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