(1)生い立ち
私は1995年、新潟市に生まれた。
3つ上のお兄ちゃんがいる。
わたしのお母さんがお兄ちゃんを妊娠したから両親は結婚した。だが、のちにお兄ちゃんのことを「この子は俺の子じゃない。」と父が言い出した。父は元々気性が荒かったが、きっとそれがきっかけで家庭内には父から母に対する暴力があった。父の主張が事実かどうかはわたしにはわからないけど、とにかく、緊張、怒り、憎しみ、恐怖、そんなものが家庭の中を渦巻いていたように思う。
なんとなく覚えている記憶のひとつに、母は父にきつく当たられていて、お兄ちゃんが家の中から締め出されて、窓のカギを閉められて「開けてよ」と言いながら窓を外からドンドンと叩いている、という光景。
私もお父さんも目が大きいので、私はわかりやすくお父さんの子だってなったからなのか、女の子だったからなのか、私はお父さんに可愛がられていて、お兄ちゃんが家の外に締め出されている中でわたしはお父さんの膝の上に座っていい子いい子されていたことを覚えている。私は父に暴力を振るわれた経験はない。自分だけ可愛がられてお母さんやお兄ちゃんは当たられている、その中にいることは、言葉にできない複雑な感情があったように思う。
ある日、夫婦間で喧嘩をしている時に、お母さんが本当に殺されるって怖くなった時に、靴も履かずに裸足で近くの消防署まで逃げ込んだことがきっかけで、家庭内暴力があったことが周囲に発覚し、即、離婚となった。
それまでわたしのお母さんはどれだけ痣を作っても自分の親にすら言わずにずっと耐えていたと聞いた。ストレスで髪の毛も抜け落ちていた。
離婚後、お兄ちゃんはお父さんに引き取られ、私はお母さんの方に引き取られることになった。
お父さんの家は自営をしていたこともあって「後継ぎはどうしても」となり、わたしたち兄妹はバラバラになった。
結局お兄ちゃんは後を継がなかった。本当はお母さんは二人とも引き取りたかった。暴力が周囲に発覚し、両親が離婚した時、私は2歳。
離婚してからお母さんは水商売やってたり彼氏とお付き合いしたりしてた。わたしは夜間託児所に預けられていた。私にはひとりぼっちでいた記憶が強く残っている。夜、1人で託児所でお母さんがわたしを迎えに来てくれるのを待っている時間が寂しかった。このまま迎えに来てくれなくて、見捨てられたらどうしよう、みたいな怖さが身体の感覚に今も残っていた。
残っている記憶のひとつに、雷が鳴っているすごく怖い時に、わたしは真夜中のテレビに映る七色の画面をただ、ひとり、ぼーっと、見ていた記憶がある。雷が怖かったからお母さんと一緒にいたかったけど、家にいなかったのか、男の人と一緒にいたのかどっちか分からないけど、そばにいて欲しいときにそばにいてもらえない、ひとりぼっちだ、というこの記憶と感覚だけは、今でもはっきり覚えている。これが、鋭い孤独を胸に突きつけられる、わたしにとっての原体験みたいなものとなった。いつも自分の中のインナーチャイルド的な存在を感じるときはこの記憶が紐づいている。
このとき私は「お母さんにとってまゆはどうでもいいから一人にさせておけるんだ。愛されていないからわたしはいま、ひとりぼっちなんだ」みたいな解釈をした。そうにでも解釈しないと、あのときの孤独と怖さに耐えられなかったのだと思う。自分が置かれている状況を理解できなかったんだと思う。
だからそれから23年くらいは「お母さんにとってまゆは大した存在じゃないんだ。大切な存在じゃないんだ」と本気で思って生きてきた。
そして、そんなお母さんに対して、【母親である前に女だった】と、恨む気持ちもあった。生きるためにお金が必要で水商売しなきゃならなかったのはわかる。彼氏がいることで心が救われていたのもわかる。
でも、
もっと、一緒にいたかった。
もっと、触れられたかった。
もっと、お母さんからのあたたかなまなざしが欲しかった。
そんなわたしは、いまもわたしの中を生きている。
とってもよろこびます♡