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(9)世界の平和を考えるならば、まずはその対極にある虐殺から


人間のこころへの興味


わたしは小学生のころから人間のこころとか孤独とか天国と地獄とか、そういうことをよく考えていたのだけど、中3のころからアウシュビッツの歴史にも興味を持っていた。いろんな本を読んだりして、そこにどんな人間のこころがあり、虐殺という歴史が生まれているのか知りたかった。世界の平和を考えるならば、まずはその平和の対極にある虐殺と向き合わなければならないと、なんだか直感的に思ったのだ


だから高校生のころに、世界3大虐殺といわれる、カンボジアのポルポト政権、ルワンダのツチ族・フツ族大虐殺、そしてアウシュビッツのユダヤ人ホロコースト。この3つの地には必ず自分の足を運ぼうと決めてた。(結局ルワンダだけいまだに行けていない)

カンボジアには、大学1年目のときに行った。
キリングフィールドを訪れ、大量の頭蓋骨を見たり、地雷除去に励むカンボジア人のお話を聞いたり、カンボジアの小学校で英語を教えたりした。

そして大学2年目の頃、授業の一環でついにわたしはポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に足を運ぶことができた。アウシュビッツには、ガイドのお仕事をしている人たちがいるんだけど、唯一のアジア人ガイドが、日本人の中谷さんという方で、その人の案内や問いかけと共に館内をまわった。ガイドの存在が、このアウシュビッツ強制収容所の価値を、何倍にもしてくれていた。

これは中谷さんの著作のひとつ。とってもおもしろかった。これを読んでからアウシュビッツに行くのがおすすめ👇

ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして (岩波ブックレット) 

https://www.amazon.co.jp/ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして-岩波ブックレット-中谷-剛/dp/4000094106#

(なぜかリンク飛べるふうにできなかった。)

これね。





当時わたしがアウシュビッツに行った後に投稿していたFacebookの記事↓

平和ってなんなのか。人間ってなんなのか。
平和構築って?自分に何がやれるのか
人間の心の闇、精神的な部分を変えるためには?

収まりきらないほど大量にある犠牲者の髪の毛を見た時、正直ぞっとした。この1本1本に生命があったのか、と。そう思ったら涙が出た。
髪の毛は撮影NGだったため写真はない。でもあの光景が、あのときの心の衝撃が頭から離れることは一生ないと思う。

ユダヤ人がユダヤ人の手によって大量に殺されていく。同胞を自分の手で殺すことへの精神的負担は計り知れない。それだけでなく、犠牲者の髪の毛を使ってじゅうたんを作らせるのもお金になる金歯を抜かせるのもすべてユダヤ人に作業をさせた。もし自分がその立場だったら?
生きていられない。地獄という言葉では表し尽くせない。

「国も持たず汚いことをして金儲けをしている」
それが当時のユダヤ人への考え方(=反ユダヤ主義)であり、社会の常識とされていた。
ユダヤ人種がないのにあったと定義された。どうしてないものがあるものに思われるのか。それは歴史があるから。

当時のユダヤ人の中には、ユダヤ人として生きていくことがめんどうになり名前を変え、宗教まで変えた人もいた。そのことを日本の教科書では「同化」と書かれている。
これと同じものが日本ー朝鮮での「帰化」
ここまでくると単なるヨーロッパでの出来事と考えることはできない。自分たちと同じ問題であり、これを見て見ぬふりをするということが1番恐ろしい。

絶対に”傍観者”になってはいけない。
当時は一部の裕福な人が社会の富を独占していた。中産階級の人々はどんどん自分の物を失っていく。そういった不満や苦しみからヒトラーに頼りたい、宗教の代わりにすがりたい、任せてしまおうとドイツ国民が思った。
実はヒトラーに賛成した人よりも、賛成でも反対でもない人の方が多かった。だがそのような多数派には入っていれば安全だ と考える傍観者の人々は賛成派とドッキングしてしまった。

それを今の日本に置き換えて考えてみるとどうであろうか。私たち若者がしっかりいまの政府に関心を持ち、今日本がどうなろうとしているのか把握する必要がある。そしてそれらの動きを蚊帳の外だと思わないこと、意思を持つことが大切なのだ。

グローバル化の今、自国の人間ではない人が簡単に出入りができる。そして自分とはなんぞやと考える必要が出てきて定義が必要になってくる。でも人間は自分の都合のいいように定義をしようとする。そして定義したものと異なるものを除外しようとする。その1つがヘイトスピーチ。ヘイトスピーチの5年後10年後がホロコースト。ヘイトスピーチがあるこの社会の外に自分がいると思わないこと、傍観者にならないこと。それは自分の国の今後に大きく影響するものだから。

数字では言えない心の闇がある。私たちの中に、そして社会の中に。

ガイドの中谷さんによると、今年開かれた札幌雪まつりで初めてヘイトスピーチが行われなかった。それまでは例年札幌雪まつりの会場でヘイトスピーチが必ず行われていたとのこと。
日本人はそろそろ、在日だとか移民、難民への考えを見つめ直さなければならない。
リオのオリンピックから、世界の難民の中から代表選手が選ばれ、オリンピックに参加できることになった。いまや「国を持たなければ参加できないオリンピック」ではなくなった。

グローバル化を受け入れる前に日本にはなにも耐性ができていない。それが大きな課題。

じゃあその課題に向けて自分は何がやれるか。そう考えた時やっぱ教育だって思った。
その課題を解決するために必要なのは法などではなく、人間の精神的な部分。そういったことを教育で。

アウシュビッツの歴史をポーランド一国で、ドイツ一国で教えてはいない。EUの教育者が集まり、ユダヤ人と相談しながら教える内容を決めている。そして同じようにEUの国々でアウシュビッツの歴史を伝えている。
これがアジアでもやれたらいいのになって思った。政治だけでなく教育も、国と国で集まり話し合いが必要なのではないか。

歴史の伝え方は社会が求めるもの、時代によって変わってくる。

共生・共存するのか、それとも一国でやっていくのか、その分かれ道が今であり世界は過渡期にある。

アウシュビッツの歴史ひとつから世界のこと日本のこと人間のこと、そして自分のこと
多くのことを考えた。そしてたくさん悩み苦しみもした
この思考のプロセスこそが本当の意味の
「歴史から学ぶ」ということなのではないかと思った。

「日本人として」とかでなく、同じ「地球人」である以上この歴史をしっかり学び、受け止め、生かす必要があると思った。
人間のこころというものは、国を越えて、みな同じなのだ。わたしたちは言語や文化を超えて、『こころを通わせ合う力』が万国共通なように、人間のこころの闇や弱さをも、万国共通なのだ。

ひとつの地球に生きる1人の人間として、自分になにができるのか、それを常に考えていかなければならないなと思った。


すべては小さなか弱き怯えから


ポルポトの虐殺をカンボジアで見てきて
アウシュビッツの虐殺をポーランドで見てきて
ぜんぶすべては、
人間の
怯え
自分の立場や権利が
脅かされるかもしれないという不安と恐怖

から、全てが始まっているのだと分かった。


あんなにも強く大きな『残虐』
なんて、か弱い『こころ』から始まっていたのだろう。



あの頃を生きてたひとたちが
鬱憤を晴らしたくなったひとたちが
自分たちの立場を守りたかった人たちが
自分の存在意義が脅かされるという
不安と恐怖と隣り合わせに生きてた人たちが
もしも、
自分のマイナスの感情を
自分の中の汚い、ずるい、残虐なこころを
自分の心の闇を
そのままに誰かに受け取ってもらえたなら
誰かと分かち合えたなら
その人の中のこころに「安心」が生まれたなら
同じように残虐な行為をしてたのだろうか。


そんなことをわたしはおもう。


大きく見える残虐という歴史も
根っこを辿れば、人間のこころのなかにある。

誰しもが持っているようなこころの種から、
始まっている。

あのとき、
多数派に流れたひとと
あのとき
残虐な行為を選んだひとと
おなじこころの種がわたしの中にもある。
なにか、気の狂った変わった人間が
残虐という歴史をつくったのではないのだ。


残虐性の種は誰の心の中にもある。
それが芽吹かないか、芽吹いてしまうか、
ただそれだけの話なのだ。

それはある種、運ともいえる。


だからこそ、
自分の中にいる闇に
真っ向勝負で光をあてる。
許す。


そう思っちゃうよねって
こわいんだよねって。
いい部分だけじゃなく
陰の部分も
闇の部分も
まるごと愛してわたしは生きていたいなと思っている。


とってもよろこびます♡