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(7)4000枚ポスター貼って0円で地球一周


ポスター貼りに命をかけてた49日間

そうしてわたしは21歳の時、大学3年目を1年休学し、0円でピースボートに乗るためにポスター貼りを始めた。ポスター貼りというのは、ポスターを貼った枚数に応じで船の船賃が割引されるというボランティア制度である。時間はあるけどお金がない若者はみなこのボランティア制度を使って一生懸命ポスターを貼り、割引を貯めて安く船に乗っている。


初めは大学が函館だったので、ひとり孤独に地道に函館でポスターを貼っていた。しかし函館にあるお店の数だけでは、全額99万円分の割引を貯めることはできないとピースボートスタッフに言われ、東京の方がお店が多いという理由で、ポスターを貼るためだけに上京することに決めた。

ポスター貼りする人専用のシェアハウスがあったので、そこに入居し、毎日ポスター貼りをした。朝、ピースボートセンターに行き、今日はどこのエリアを貼りに行くかを決め、トートバッグに100枚ほどのポスターを入れて、エリアの地区まで電車で移動する。

エリアに到着してからは、地図と見た感じで、どこにどんなお店があるのかを把握し、どのようなルートで回るのが1番効率が良くたくさんポスターを貼れそうかを考え、あとはひたすら歩きお店に入っていき、飛び込み営業をする。ひたすらその繰り返しをした。


船に乗る前にセブの0円留学に2ヶ月行くことを決めていたので、それまでに必ずポスター貼りを終えられるように、わたしは1日80枚という目標を設定した。どうしてそんな無茶な計画を立てるんだと、ポスター貼りもあるのにどうしてセブ行きを確定してしまうんだと、どうしてそんな1年の中に予定をこん詰めるのかと、周りに反対・心配されたこともあったけど、わたしにとっては、いいモチベーションとなった。どうしても動かせないケツを作ることで、自分を奮起させていたのだ。


そして不思議と、無茶だろうとなんだろうと、わたしならやれるはず、と信じていた。根拠のない自信があった


80枚を達成できなかった時には、その分をどこかの1日でめちゃ頑張って賄うようにし、計画より遅れることなくポスター貼りをする日々が続いた。

そのときのわたしのストイックさ、集中力というのは、今思い出してもすごい。マルチタスクは驚異的にできないわたしだが、何かひとつこれ!と決めたものに一点集中するエネルギーがすごいのだ。

そういう自分の質を知っていたので、ポス貼りしながらバイトはしなかった。全額分貼り終えてから、ガッと集中して現金稼ぎしようと決めていた。


スタッフの理解と協力もあり、キャラバンというポスター貼り合宿にたくさん参加させてもらえたこともあり、無事に49日間で約4000枚のポスターを貼り、99万円という船賃全額分の割引を貯めることに成功した


本当に生命をかけてポスター貼りをしていた。本当に全然貼れないときもあったし、ポンポン貼れる時もあった。

人生で一番濃かった体験は何ですかって聞かれたら間違いなくポスター貼りと答える。あんなに1日で人に会うことはそうそうない。毎日100人以上の人には会っていた。いろんな社会、いろんな人間を見ることができた。


はじめての

函館での人生で初めてのポスター貼りの時、お店に入るのが凄くすごく怖かった。何度も何度も、お店の前を通り過ぎて、ガラスからお店の様子とか店員さんの表情とか機嫌を伺いながら店の前を行ったり来たりを繰り返していて、全然お店に入れなかった。結局、勇気が出せなくて、近くのデパートのエントランスにあるベンチに座り込んでしまった

当時の私はヒッチハイクをしてみたいという夢を持っていたから「こんなポス貼りひとつでお店に入れないようなやつがヒッチハイクなんてできるわけがないや、、」って思ったら、“勇気が出せない、たったそれだけのせいで、目標のためにも動けず、やりたいこともやれない。え、そんな人生、嫌じゃね?!“ って思ってきて、そこで何かが吹っ切れたのか、覚悟を決めることができた

緊張しすぎて、初めてのお店、ポスターが貼れたのかどうかは、覚えていない。

扉のさきに

特に夜のお店やスナックなどの中が見えないようになっている扉を開けるのが怖かった。

けど怖いところを勇気出して扉を開けていくことで、人のやさしさ、人の愛、奇跡(住んでいる住所が一緒だった、共通の友達がいたなどのシンクロ)をいっぱい目にした。

扉を開けなければ、奇跡に出会えない。勇気を出すから奇跡に出会える。肝心なのは、はじめの一歩だけ。あとは奇跡に出会えば出会うほど、その経験は扉を開ける勇気となってった

そんな体感を得てからは、どんな可能性もつぶしたくなくて、どんどん扉を開けることができるようになった。

めちゃくちゃいろんな人間がいた。社会にはピースボート嫌いが一定数いる。私が「ピースボートボランティアスタッフの者なんですけど」ってはじめに名乗った瞬間に「死ね!」と怒鳴り追い出されたこともある。

かと思えば、夕ご飯も食べさせてくれたり、お金をくれたり、お酒も飲ませてくれたり、食べ物を持たせてくれる人もいた。本当にこの世はいろんな人間がいるんだと知った。嫌な人もいるけど優しい人もいる。嫌なことがあった後は必ずいいことがある。そういうコントラストがこの地球なんだなと理解していった


ピースボートのポスター貼りは言ってみれば飛び込み営業みたいなものだ。お店の人はお客さんだと思って「いらっしゃい!」っていうけれど私は「実はこういうものなんですがポスター貼らせてもらえますか」と言う、その瞬間の、ややがっかりされる相手の表情を受け止め、乗り越え、毎日ひたすら何百件と飛び込み営業をしていた。

ピースボート界隈で49日間(1ヶ月半)で4000枚を張った人はほぼいないと思う。早くても3ヶ月。普通は数カ月や半年かけて達成する人が多い。ありえない密度と濃度とスピードでポスター貼りをした経験はかけがえのない宝物だ。


たくさん受け取ったひとの温もり

ビルに入ってる保険会社の社長が「お金に困ったら俺に連絡しろよ」って優しい言葉をかけてくれたりした。お店の人に「なんでポスターを貼っているの?」「なんで行きたいの?」って聞かれることが多かったのでそこで私の夢や想いを話すと、みんな感動してくれて、そんな時間や人との交流がとても好きだった。

効率で考えたら「貼ってすぐ出る」「貼れないならすぐ次の店へ」とした方がいいんだけど私はついつい話し込んでしまうことが多かった。

ディープな話や私の家庭環境、幼少期の話になったりしてすごく話し込んでこともあった。「あなたには幸せになってほしい」と言われ涙が溢れたこともあった。スナックに夕方ぐらいにお店に入ってそのあと、いろんな話をしてるうちにビールもおつまみも出してくれて夜まで話してしまってそのあと一軒もポス貼りに行けませんでしたなんて日もあった。

とにかくわたしは一期一会を大切にしたかった。ポスター貼りがあるからこそ、出会えた目の前の人。ポスター貼りがなかったら、入ることのないお店ばかりだった

だから、わたしは貼れても貼れなくても、怒鳴られても嫌な顔されても、必ずお店を出る時には『ありがとうございました』と相手の目を見て笑顔で言うようにしていた


世界は優しいっていうまなざしは、体験をしないと分からないと思う。勇気がでないからって、怖いからって閉じこもっていたら人のやさしさには出会えない。傷つくこともない代わりに、やさしさを知ることもない。私はそうやって世界は優しいんだって知っていった。



わたしが手に入れた99万円の割引は、すべて
誰かの優しさ、誰かの善意、誰かの愛だった。

そんなさいこうな地球一周行きのチケットなんてあるかよ、って思い、涙を流しながらの出港だった。

わたしと出会いポスターを貼らせてくれたみなさん、ほんとうにありがとう。感謝しています。おかげで地球一周の船旅はわたしの人生を変える大きな経験となりました。「いま、どうしてそんな生き方・考え方ができるの?なにがきっかけだったの?」というよくくる質問にわたしはいつも、「南半球一周の船旅がわたしの人生を変えてくれました」と答えている。

↑当時、ポスターを貼り終えた直後にわたしが書いたもの。


とってもよろこびます♡