ご飯のお供的解釈

ご飯のお供は当たり前にご飯が進むじゃないですか

ご飯が進む用にご飯のお供が生み出される場合と、もともとあるものがご飯のお供として存在価値を見出す場合があると思うけど

わたしにとっての喫茶店はそれみたいで

喫茶店だとお話が進むわ進むわ

私が喫茶店好きな理由はなんとなくこれが一番なのかもしれないなあと思った

もちろん雰囲気がすきとか洒落てないから意気込まなくても入れるとか1人でいても空気のように過ごせるとか色々あるんだけどね

前どこかで書いた気がするけど私は別にわざわざ1人を選んで過ごしてる感覚はないから喫茶店だって誰かと一緒に行って話して過ごす時間も、ほんとうにとてもすきです。

ただの近況報告とか

今日はどんな予定で過ごそうかとか

未来のこととか

世の中にまかり通る常識に対しての不満とか

たまには喫茶店に似合わない白熱した議論をすることもあったと思う。笑

私がフィルムカメラを使う理由として、まあ少しカッコつけた言い方をすると、「スマホの写真よりもフィルムで撮った方がそのときの記憶が思い出す時により鮮明になる」てのがあるんだけど、

けっこうそれとも似ていて喫茶店で話したことはよくおぼえているんだよな

(あ、でも散歩中も割とあるかな、なおさんとめちゃくちゃ長い散歩をしたあの日の会話は夕暮れの空も含めてめちゃめちゃ覚えていたり、笑)

ファインダーを通して見つめたあの瞬間の記憶が写真を見返すだけで蘇る

あのわざわざ訪れた喫茶店のあの席で、向かい合って話したこととか、それぞれの喫茶店で似たような話をしていたとしてもそれは全くの別物なのでそれもまた覚えているし、喫茶店を思い出すだけで蘇る、と思っている

いや、蘇る!

音楽や匂い、季節の変わり目、
誰かのことを思い出したり、
誰かのことを懐かしんだり、

そういう感じで私は喫茶店を通して過去の会話に想いを馳せがちだな〜と思いますね

上の世代の人からしたら喫茶店エモい♪みたいなんで混んでる状況とかに対して、

俺たちの喫茶店に入ってくんなうるせーぞーって思ってるんかな〜とかよく思うんだけど

あなたたちも含め喫茶店がすきなのだよ〜と伝えたいね

まだ怒られてはないので伝える機会がないのですがもし怒られたら。

いや、まあ誰が喫茶店文化に参入してこようと誰の文句も正しくはないのか

めっちゃすきなのに、オシャレ〜とか思って喫茶店いってるわけじゃないのに、あ〜はいはい喫茶店ねそういう感じねとか思われたら悲しいのですこしだけ愛を語っておこうと思った

お耳に合いましたらというドラマで、すきなもののことを考える時間というのはぜったいに〜必要だと感じたので今回もそういう時間になった改めて喫茶店のことを考える。

私が見る映画も行く喫茶店も、いつも何もオシャレではないけど魅力を語るところはいくらでもある

喫茶店へ

私とだいすきな人たちとの会話のお供になってくれてありがとう

(逆の気もしてきたね、喫茶店のお供に会話
うーんでもやっぱり会話のお供に喫茶店で)

これからもずっとなくならないようにこの文化は守っていきたい所存です

私が守るってなるとマスターになるしかないような気がするけど笑

まあそれもありだね
みんなが集まる私たちだけのユートピアをつくりたいよね


はい、以上、ご飯のお供の話でした

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