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母と私、重なる幼少時代

確か4、5歳の頃だったと思う。私は母に連れられ、お琴の教室に行った。そこでは、私と同じぐらいか、もう少し上の子たちが上手にお琴を弾いてお歌を歌っていた。考えてみたら、ここで私は人生初の敗北感を味あわさせられることになったような気がしている。

お琴教室の先生はハキハキと通る声で、マヨルちゃん、なんでもいいから何かお歌を歌ってごらんなさい。と、言った。

私の幼い頃は今となってはもやがかかったようになっていて、記憶がはっきりしている部分と抜け落ちている部分があるのだけど、その時のことははっきりと覚えている。先生のその「司令」は私にとって重圧でしかなく、私は口をぎゅっと閉じて頑なに歌を歌うことを拒絶した。

かなり長い時間そうしていたように思う。先生はとても根気がいいのか、とても意地悪かのどちらかで、私にたっぷりと自発的に歌を歌う時間を与えたため、結果的に1時間以上私は口を閉じたまま、歌どころか言葉を発することもなく、その場に立ち尽くしていた。

先生はとうとうしびれを切らし、お母さん、この子は向いていません。と、確かそんなことを口にしたように思う。

私は壮絶な敗北感の中、母に小突かれながら帰路に着いたのだった。

時代は流れて現代の話。つい最近、母が私にこういった。

あんたは、何一つ習い事が身につかなかったわね。

私にとっては痛烈な一言。そのお琴事件の後に、やはり嫌々習わされたエレクトーン。こちらはお琴に比べれば、まだ私に一見向いてるようにも見えたのだけど、先生とソリが合わないというのか、独創性を全て否定され、先生の思うように演奏することしか許されなかったため、私はクラスがある日の時間になるとルーティンをこなす、使命を果たすだけのために、エレクトーン教室に通い、自分が楽しめる瞬間がないまま結果的に15歳ぐらいまでだらだらと続けることとなった。

母のこの一言の後、私がエレクトーンを嫌々やっていた話をすると、母はいきなり堰を切ったように、自分も昔嫌なお習い事をさせられていた、という。

母の家庭では父が厳しく、母には活け花を習わされており、母が好きな芸事を否定されて育ったという。

母は小学生の頃、演劇で主役に抜擢され、その役に挑むことに嬉々としていたそうな。が、しかし、みんなが演劇の練習をしている時にはお稽古の活け花に行かなくてはならず、祖父が山から取ってきた花を抱え活け花教室へ、演劇の練習をする同級生を横目に悔しい思いで向かったのだそうな。

母の家庭では母が外部より持ち込む文化は全て否定され、厳格な父親の言葉に背くことなど許されなかったのだという。

普通に考えればどうなのだろうか?抑圧された幼少時代を送った子が、父や母になった時、自分の子供たちに親のエゴをなんのためらいもなく押し付けてしまうものなのだろうか?
#毒親サバイバル #モンスターペアレント #毒母