小説講座の合評ってどうなの?

当レーベルの講師でもある根本昌夫氏は、ほかにも多数の小説教室で教えていらっしゃいますが、どの教室も合評というスタイルをとっています。生徒が提出した作品を、他の生徒と講師が講評するというものです。ほとんどの方は根本先生に自分の作品を講評してもらいたくて受講するのだと思いますし、多数の受講生の講評を聞くのは時間もかかります。実際他の小説教室では講師からの講評のみというところも多いのではないでしょうか。

なぜ根本氏は敢えて合評という形をとるのでしょうか。

根本氏の著書「『実践』小説教室」のなかにそのヒントを探してみましょう。

「小説の読み方には四種類あると私は考えています。著者の読み方、自分の読み方、マーケットの読み方、そして賞の読み方です。」

講座の合評でまず求められているのは、このうちの「自分の読み方」だろうと、運営人は考えます。「自分がこの作品を読んでどう思ったのか」という読み方で、ふだん多くの人が普通にやっているものです。自分が他の方の作品を講評するというと身構えてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、教室ではまず作品を読んで自分がどう感じたか、よかったところ、引っかかりをおぼえた点などについて、自由かつ率直に話すだけでいいのです。読み方に正解というものはないので、他の方の意見と違って当然で、いろいろな読み方を聞けるというのも勉強になりますし、何より、自分の感じたことをいかに他の人に伝わる言葉に置き換えられるか、言葉を磨く大切な訓練の場であるのでは、と運営人は考えています。

根本氏は、小説家を目指す人にとって一番必要なのは「著者の読み方」だと書いています。「自分にとって面白いか、つまらないかではなく、その小説を書いた作者の立場になって読むのです。作者はなぜここでこの一行を書いたのか。なぜこういうタイトルにしたのか。書き出しをこのようにした意味はと、作家側に立ってじっくり想像してみる。すると作品と対話ができるようになります。読む側にばかり立っていると、作品はいつまでも他人事のままですし、小説を書く営みの真髄にも近づいていけません。」「読みにくく難解な小説も確かにあります。しかし、この著者が難しい文体にしたのはどういう意図からか、なぜ改行をほとんど入れていないのかも、自分の想像でいいから考えてみましょう。」「自分の読みが正解かどうかはわかりません。でも、『著者はきっとこういうことを書きたかったのだろう』『ここではこういうことが言いたかったようだろうけど、あまりうまく書けていないな。自分ならこう書くだろう』などと考えながら読書するのは、自分が小説を書く上でも、大変いい勉強になります。」

さらに根本氏はこう書いています。

「私は小説教室に提出された作品は四回読みます。編集者のならいで、来た作品は傑作を期待してすぐに読みます。この一回目の読みで作品の価値はわかります。二回目は作者の企図を考え、どうしたらそれに近づけることができるか、より良い作品にするには何が必要か考えます。講評用の読みです。三回目は日を置いて、講評直前に読みます。これで読み落としていたものにも気づきます。合評で生徒さんたちの作品評を聞くこと、これが四回目の読みです。これで読みが大きく変わることがあります。四回目の読みは小説教室の講師でなければ味わえない醍醐味です。」

講師でなければ味わえない、と根本氏は書かれてますが、講座の受講生であっても、合評を通して誰もがこの四回目の読みを体験できると運営人は思っています。オンライン講座でその体験をしてみませんか。


 



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