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夏に蓄積されたモヤモヤが、2日間でほぼ解消されました。

最近、頭の中にモヤモヤだらけでどうして良いかわからないことが多かった。
町づくりを生業としていく事例が増えていたり。住民主体の町づくりは行政となかなか折り合いがつかなかったり。ユースワークが何かを目指して良いのかとか思っていたり。社会教育というワードが消えかけている感じがしたり。ユースワーク、余暇、子どもの居場所という、ただの隙間でよかったはずの場所をシステマチックに囲い儲けようとする感じ。ボランティアの感覚が極端なものを連想されがちだったり。社会の問題のせいで起きているであろう現象が個人のせいにされていたり。若者が未来の希望みたいな語られ方をしていたり。学歴主義が浸透しすぎていたり。内容なく、見せ方が上手なものにばかりに引き寄せられる風潮だったり。地域活性化がお金の側面ばかり語られていたり。
このnoteでは批判的なことは書かないようにしようと思ってはいる。けど、納得できない、僕の脳では消化できない出来事がこの夏にまあまあ多かった。そういったモヤモヤに自分が振り回されそうなときもあった。でもこれは僕、一個人の感覚からの違和感であって、批判や否定として上記のものを挙げたわけではない。ただ、僕の意識はそこら辺にあるだけ。今の動きが日本に住むホモサピエンスの自然に求める方向性なのかもしれないし。
ただ、僕の意見として、豊かさの逆を進んでいるような気がしてならない。ただ、放置しておけば豊かになるところに、豊かにさせようという一部のパワーが働き、「それ良いことだ」と続く活動に、どんどん住民は置いていかれ、寂しさを覚えていく。隣の庭の理想をパクるために、地域のリソースは消費される材料としてしか捉えられない。
そこら辺の想いを、最近、友人や恩師と共有でき、少しスッキリした。やはり、僕が求めているのは町づくりでもユースワークでも、住民の自治活動でもない感じがした。ゆったりと構える豊かさと、想いを活動に繋げられ、他者と楽しめるアクティビティがある社会、魂がワクワクする機会が多いこと、そこなのかなと。それだけでそれ以上は何も必要ないというか、おまけなんだと。そしてそのおまけが先行する事例に触れすぎて、疲れてきていたのだと。
今日、わかった。人生はシンプルで良いんだ。シンプルなものにおまけを自由気ままに彩っていく。そんなもんでいいんだと。少し肩の力が抜けた今日。楽しくなってきた。

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