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NFTアートの所有について考えてみる

 Crypto PunksやBored Ape Yacht Club(BAYC)をはじめとしたビックプロジェクトの金銭的な成功に続かんとして、日本国内においても大小さまざまなプロジェクトが動いています。

 また、NFTの売買は個人でも行いやすいため、有名なクリエイターから普段絵を描かない素人まで、多くの個人ユーザーもNFTでの成功を夢見て日々、作品を発表しています。

 そんな中、NFT界隈では日々、クリエイターやコレクターによりNFTの偉大さや将来性について語られています。

 NFTの意義についての議論は、大きく「アート所有」と「ユーティリティ」に分かれていると感じます。

 今回はこのうちの所有について考えたいと思います。

〇まず、現実世界で油絵を買ったときはどうか。

 NFTアートについて考える前に、私たちが現実世界において物理的な質量を持った油絵を買う場合について考えてみます。

●油絵の写真や画像で満足できるかどうか。

 例えば美術館に行ったとします。たくさんの油絵が飾られていて、そのうちのゴッホの「ひまわり」が目にとまりました。

 今目の前にあるゴッホの「ひまわり」については、人それぞれ様々な価値観が発生すると思われます。

  • 良い絵だけど、WEBで検索すればいつでも見れる。

  • WEBだと画像が荒いし、おみやげコーナーで美術館の資料集を買おう。

  • 部屋に飾りたいので、おみやげコーナーでゴッホのポストカードを買おう。

  • デザインが気に入ったので、おみやげコーナーでゴッホのTシャツを買おう。

  • あくまで油絵でしかない。本物のひまわりの方が断然美しいので、鉢植えと種を買おう。


 しかしあなたは、今目の前にある原画に魅力を感じることになります。
 そしてどうしてもその原画が欲しくなっています。

  • ポストカードではダメだ。油絵は絵具の厚みも含めて芸術だ。

  • 模写されたものではダメだ。ゴッホ本人が油絵具を置いたこの原画こそ至高だ。

 あなたは責任者を呼び、ゴッホの絵を買い付けることになります。

●ゴッホの原画にいくらまで出せるか

 さて、ゴッホの「ひまわり」の原画が1億円で値付けされたと仮定します。
 
 もし経済的に合理的な人間ならば、この絵に1億円を支払えるかどうかは、そこから得られる利益や快感などが、1億円に相当するものであるか、頭を悩ませているはずです。

例えば、

  • 誰にも見られる必要はない。ゴッホが当時絵具で描いた絵の原物が、目の前でいつでも見られるアート的感動と快感

  • 日頃から資産家との付き合いがあり、家に呼ぶことがあるので、この絵を見せて優越感に浸りたい

  • 美術品への評価は今後も上がることが想定されるので、数年後には1億円より高く売れるだろうから投資として最適だろう

 このあたりに1億円の価値があるとあなたが判断すれば、1億円を支払ってこの絵を買うことになるでしょう。

●所有に関して、絵は手元にある必要はない

 上の例で行くと、自分でいつでも原画を見たい場合や、家への訪問客に見せびらかしたい場合は、その絵は手元にある方が良いでしょう。

 一方、3つ目にある投資的な目的からの購入であれば、絵は手元にある必要はありません。美術館で保管してもらい、広くい一般に見てもらうことも可能です。

 もちろん、絵が手元にないからといって、それが自分のものではない、とはなりません。自動車や家など、比較的大きな資産と同様、所有を証明する証書などの記録により、所有を主張することはできます

 さて、ここまでは現実にある物質的なゴッホの原画について簡単に考えてみました。
 それではNFTについて見ていくことにしましょう。

○NFTはあくまで帳簿機能部分

 NFTアートの所有について考えるにあたり、NFTアートがどういうものなのかを、今一度確認したい。

●画像は電子データでしかない。また画像データは手元にあるわけではない。

 例えば私が、クリプトゴッホというNFTシリーズを作るとします。

 ゴッホの「ひまわり」のJPEG画像データを、「クリプトゴッホ01ひまわり」というタイトルでOpenseaにてmint(発行・作成)しました。

 このとき発行されたNFTは、ざっくり言うと、「クリプトゴッホ01ひまわり」というタイトル情報やその他詳細が詰まったデータ(メタデータと呼んでみます)の保存先URLと、私のウォレットアドレスなどの情報が紐づけられた電子データです。
 このメタデータの中に、「ひまわり」のJPEG画像の保存先アドレスが入っています。

 メタデータや画像の保存先がなくなってしまえば、そのNFTの画像データは表示されません。リンク先が切れてしまっているURLと、ウォレットアドレスの情報を持った電子データでしかないものになっています。
 現行のNFTはほとんどこれです。

 補足的な話ですが、フルオンチェーンと呼ばれるNFTがあります。これは画像的な情報もNFTの中に含まれているものです。
 有名なところだとCrypto Punksはフルオンチェーン化に成功しています。

 ただ、NFTが持つことのできるデータ量は(今のところ)非常に小さいので、画像の解像度等には限度があります。ドット絵程度なら可能かもしれませんが、イラストのようなものは難しいのが現状です。

●手元になくても所有はできる

 ネット上の画像というのは、画像データが手元にあるわけではありません。これはNFTでなくても同様かと思います。

 ただ画像が手元にないからと言って、すなわち「所有していない、所有できない」わけではないです。

 これは美術館に絵を所蔵したとしても、別の帳簿でオーナーがその人であることがわかれば良い、という状態と同じです。
 この帳簿の役割をブロックチェーンが行っているわけです

 なので、画像が別のところに保存されていようが、その画像アドレスを示すメタデータがあり、そのメタデータを示すNFTが、あるウォレットアドレスに紐づいているならば、その画像はどうやらウォレットアドレスの所有者のものらしいと推定することは、そこまで不自然ではないように思います。

○現実世界の絵と、電子データの絵

 手元になくても所有を主張できたとしても、現実世界の絵と電子データの絵ではそもそもの性質が違います。その性質の違いにより、電子データの絵の所有については、もう少し考える必要がありそうです。

●技術的な完全コピーが不可能という前提が必要。

 この世界にあるありとあらゆるものを、原子レベルでコピーできるコピー機があるとします。例えば1億円したゴッホの絵を、原子レベルで完全にコピーした場合(もはやコピーというより分裂に近い)、この絵の価値はどうなるでしょうか。

 絵具の劣化具合も同様、新旧の価値の差はなく、2つの絵をシャッフルした場合、どんな手を使おうと、2つの絵を区別することはできません。

 この場合、当然ですが絵の価値は1億円を下回ります

 ただし、現実世界でこんなコピー機はありえません。どんなに上手な贋作を作ろうと、その真贋を見極められる状態である限り、真の原画の価値は保証されているようなものです。

●電子データの絵はコピー可能な状態にさらされている。

 画像データでよく使われるファイル形式にJPEGとPNGがありますが、当然それぞれに特徴があります。JPEGは保存の際、ファイルサイズ等に変更が加わった場合、元に戻すことができません(非可逆圧縮)。一方、PNGファイルは戻すことができるので、画質を保つことができます。

 画像データは現実世界の原画よりも完全コピーされやすいリスクにさらされています。このリスク排除は一筋縄ではいきません。
 例えば、

  • クリエイターのPCに保存されている画像が残る限り、クリエイター自身によって同じ画像のNFTが作られるリスクがある。

  • クリエイターが意識してコピーしなくとも、PCにデータが残っている限り、悪意ある第三者によってコピーされる可能性がある。

  • 歴代の購入者によってコピーされる可能性がある。

  • 解像度の低い画像であれば、座標や色彩データさえ分析できれば、同様の画像を描写できる

 など、少し考えるだけでも多くのコピーリスクがあります。

 NFTの作成された時間の前後関係で、その真贋を見極めるのも危険です。一般的に画像完成とNFT化の間には空白期間があるため、その間に盗まれ、コピーされ、NFT化される可能性がある以上、単純な時間的前後関係での見極めは難しいです。

○その帳簿の社会的信頼性の確保は必要か、どうか。

 コピー可能な状況の中で、所有している意味とはなんなのでしょうか。
 例えば、ある画像に関して所有権を主張する場面があらわれたとしましょう。その主張は誰に対して行えばよいのでしょうか。

 現実社会における所有権争いであれば、最終的には裁判所が想定されますが、果たして裁判所は、NFT上のウォレットアドレスからあなたに所有権があるという審判をくだせるのでしょうか

 また、NFTを購入したことにより、購入者が受け取る権利は曖昧な部分多く、クリエイター側も明示してる場合が少ないです。仮にクリエイター側が、所有権を渡した覚えはない、と主張した場合どうなるのでしょうか

●所有権を主張する場面がそもそも出ないのが望ましいのか

 NFTの特徴であるブロックチェーン技術は、非中央集権的な帳簿技術です。
 それによって達成させる社会として、非中央集権的なものを目指すのであれば、所有を主張する先は裁判所等ではありません。
 むしろ、その所有権も真贋も、どこかに主張する先なんてなく、NFTがその機能によって主張できてる状態が望ましいのかもしれない。

○一旦ここまで(2022/07/24時点)

 コピー可能な電子画像を「所有する」ということには、まだまだ様々な課題があることがわかります。
 
 そもそも目指すべき社会が合っているのか、その社会に必要な技術なのかも含め、引き続き考えていきたいと思います。

 ちょこちょこ加筆・修正するつもりです。引き続きよろしくお願いいたします。


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