見出し画像

アダム・スミスの「見えざる手」について(1)

※以下は、下の動画の内容を文章化したものです。『世界の名著31アダム・スミス「国富論」(玉野井芳郎・田添京二・大河内暁男訳)』の中の第4篇第2章の内容から、です。

アダム・スミスの「見えざる手」に関する考察です。続編もそのうちに作成します。

こんばんは。トンてつクラブのMTです。
今夜は、アダム・スミスの「見えざる手」について、考えてみたいと思います。
アダム・スミスはこんなことを言っています。
人は自分の利益の獲得を考えて行動すると、必ずや社会全体の利益につながることになる、と。
商人の例で言いましょう。
商売をしようとして、①中継ぎ貿易、②国内消費向け外国貿易、③国内産業のいずれかを選ぶとすれば、利益がいずれも等しいならば、商人は①よりも②を、②よりも③を、選ぶだろう、と。
なぜならば、商人の目がどれくらい届くのか、何か問題が生じた場合にすぐに適切に対処できるのか、確実にもうけが得られるのか、などの基準から考えれば、①よりも②、②よりも③のほうが、商人の目はよく届き、問題があればすぐに適切な対処がしやすく、もうけも確実だから、なのです。
商人が③の自国産業に投資するのは、もうけがより確実だからであり、商人は自分の利益しか念頭にありません。
しかし、商人が資本を外国貿易よりも自国産業に用いることによって、自国の国民に、より多くの仕事と所得を与え、産業をいっそう活発にすることになるのです。
この場合、商人は社会の利益を増進させようと意図してはおらず、またそのことに気づいてもおりません。
外国産業よりも、自国産業を優先するのは、ひとえに自分の利益を確実にしようとするから、なのです。
しかし、そうすることによって、商人は「他の多くの場合と同じく、この場合も見えざる手に導かれて」自分では意図していなかった社会全体の利益の増進と言う結果をもたらすのです。
自らが意図もせずにするほうが、社会が意図してするよりも、社会的利益の増進がより効果的になることがあるのです。
だから、アダム・スミスは主張するのです、人は自分の利益を追求していくと、自然に、というよりも必然的に、社会にとって最も有利になるように資本を使うことになる、と。
この神の「見えざる手」というアイデアは、「他の多くの場合と同じく」と言うように、社会の隅々にまで及ぶ作用をいいます。
この調和作用は、分業にも妥当すれば、人間の心情にも及ぶのです。
以上、アダム・スミスの「見えざる手」について、でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?