神曲の習合性

『神曲』には、ギリシア神話の怪物もいれば英雄も神もいます。つまり、キリスト教とギリシア神話が融合しており、その意味で『神曲』には習合的要素がある、と言えるのかもしれず、キリスト者ダンテは必ずしも厳格な一神教を採用していない、と言えるかもしれません。

そういえば、旧約聖書も一神教というより「拝一神教」の要素があります。旧約聖書には、モーゼはシナイ山でエホヴァより十戒を賜ったが、山から下ってみれば、彼が率いてきた民は偶像を造って異教の「神」を崇拝していた、と記されてあるからです。キリスト教は一神教の中でも唯一神教ですが、その淵源たるユダヤ教は唯一神教というよりむしろ拝一神教だったのです。

ダンテの『神曲』でいえば、この長々とした作品には、実はエホヴァだけでなくゼウスもいるのですが、最高の崇拝の対象は飽くまでエホヴァとするので、その意味では単一神教だと言えなくもないかもしれません。

一神教とは一つの神だけを信仰する宗教ですが、さらに細かく分類できます。唯一神教(monotheism)、拝一神教(monolatry)、単一神教(henotheism)、交替一神教(kathenotheism)などです。それぞれどういうものなのか、確認しましょう。

唯一神教は狭義の一神教であり、崇拝される神が万物を支配する唯一神であり、ふつう他の神々は認められません。唯一神教には、他の教えを邪教とする排他性と、万人に唯一神の恩恵が及ぶとする包容性があり、外部に向けて宣教する傾向があります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、初期のゾロアスター教などがそうです。

拝一神教とは、部族、民族、都市などの特定の社会集団が、他の集団の崇拝する他の神は容認しつつも、自らは特定の一神のみを崇拝するものです。古代イスラエル初期のヤーウェ信仰がそうです。

単一神教とは、多神教世界において特定の一神を主要神として集中的に崇拝するもので、あたかもその神が唯一至上の神であるかのように見えます。単一の主要神を次々と交替して崇拝すれば、交替一神教となります(「一神教」ニッポニカ)。

ダンテの『神曲』的世界には、ギリシア神話の有名な怪物や人物、英雄や自然界のものや神までも描かれます。それだけでなく、ギリシア神話に見られるエピソードが『神曲』に忍び込んでいたりもするのです。

ギリシア神話では、人は死ぬとあの世で冥界の川を渡ります。その川の渡し守の翁をカロンと言いますが、このカロンが、第3曲では、深く地獄を巡ろうとするキリスト者ダンテとローマの詩人ヴェルギリウスとを舟に乗せて運ぶのです。キリスト教的世界の中にギリシア神話の人物が位置づけられているのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?