パルメニデス覚書

パルメニデスは言う、有るものはa)不生不滅であり、b)完全無欠であり、c)全体であって部分なく、d)一なるもので分割不可であり、そしてe)不変不動である、と。(『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片99より)

パルメニデスのこの見解は、彼のx)「有るものは有る、有らぬものは有らぬ」という根本的命題から演繹できそうである。そしてx)からは、y)「有るものが有らぬものにはなり得ず、有らぬものが有るものにもなり得ない」という派生的命題も確認できそうである。

有るものについては、a)生滅はあり得ない。何故なら、生ずるということは有らぬものが有るものになることであり、滅するということは有るものが有らぬものになることであるが、そうなると、パルメニデスの根本的命題x)ならびに派生的命題y)に反する。また生滅は空虚を前提とするからである。

b)有るものは完全無欠である。不生不滅であるということは永遠にあるということであり、永遠にあるということは苦しみがないということである(何故なら、苦しみがあったら永遠に存在できないであろうからである)、そして苦しみがないということは健全なのであり、健全なのだから完全無欠なのである。ちなみに、パルメニデスは「有るものは完全無欠である」ということについては何ら証明はしていない。ここに記した証明は、パルメニデスの弟子であったメリッソスのものである(断片119より)。

c)有るものは全体で部分なし。パルメニデスの「有るものは有る」という命題は、論理学風に言えば、「A=A」という同一律に帰着する。さて、ある全体に二つの互いに異なる部分甲乙があれば、全体は甲であり、かつ乙であることになるが、「A=A」の公式に反することになる。全体はどの一面を取り出しても他の一面と「同様」なのであり、すなわち、全体のいかなる部分も同一同様同質なのであり、換言すればある面と他の面はあらゆる点で同質なのであり、従っていかなる面もどの他の面とも区分できやしないのである。

d)有るものは一なるもので分割不可である、というのはc)有るものは全体であって部分がない、というものに同じである。

e)有るものは不変不動である、というものであるが、ここでいう「不変」は状態変化の否定であり、そして「不動」は運動の否定である。状態変化は甲であるものが甲ではないものになることであり、つまり有るものが有らぬものであることであり、パルメニデスの同一律に反する。運動とは、物が何もない空虚へと移動することであるので、運動は空虚を前提とするが、空虚とは有らぬものであり、有らぬものは有らぬので、「空虚が有る」というのは矛盾なのであり、従って空虚は論理的に否定される。そして空虚が存在しないから運動もあり得ないのである。

・パルメニデスによれば、有らぬものは考えられないものなのである。例えば、「円い三角形」なんぞは有らぬものであり、考えられないものなのである。そして考えられるものは有るものなのである(論理学のいわゆる対偶である)。


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