第1作~第5作

第1作

オープニングと、水辺のデート、そしてデート未遂。場所は水元公園の小合外溜。
全ての撮影を1箇所だけで(そして恐らく1日だけで)済ましたことがよくわかる。
木造の橋はこの映画から数年して掛け替えられ、今は水色の鉄橋となった。1970年代から遊びに行った場所だが私には木造の記憶は無い。
逆に、あそこは木造だったのかと新鮮な驚きが。
舟を漕ぐ寅のアップ時や二人で舟に乗っている映像は、外溜の一番南、桜土手に接しているあたり。だけれど冬子のアップの時は橋がすごく遠い。もしかしたらこのワンカットだけ同じ外溜の北側、三郷市寄りから撮影しているのかもしれない。


オープニングもう一つ。
土手からパーンして柴又の街並に映像が変わるが、その最初の土手、よくよく考えると今と高さが違う。というか、車道が一番高いところを走っている。
今は、土手の一番高いところはサイクリング道路で、車道は土手の中腹というか、少し低いところを走っている。
数作あとの映画にも出てくるが、この後、土手は改修工事が入り、少し嵩上げされる。つまりこれは嵩上げ前の土手の映像。

第2作

「先生の家」。葛西神社の鳥居のお陰で場所はすぐ理解した。70年頃のあの辺、まだ道路の整備がイマイチだったのか。逆に趣あっていいなと思った。
あまり行かない場所なので、付近を見に行ってきた。テレビ等で見ていても自分の足で実際にこの辺に来たのは久しぶり。「先生の家」の小道に入ったのは初めてだった。「先生の家」を含め界隈の建物はみな建て替えられて綺麗になっていたが、さすが由緒ある神社のお膝元、参道とも呼べる道の形は江戸以前から何も変わってないと思われる。

突貫の第3、4作は街ロケが少ない。対して少し余裕のあった2作目、喫茶店の外。駅前団地は当時としてはハイソな新築の高層(と言っても14階)団地だった。そんな流行先端的映像をわざわざ差し込む処にまだ製作行程の余裕を感じる。

駅前の喫茶店の外観(のみ)は取り壊し作業が行われている。某ファンサイトを拝見したところ、この場所は当時本当に喫茶店だったとか。そしてロケ地について「DVDマガジンも今までのムック本も公式サイトも、誰も書いていない」そうだ。今も残る大きな目標物があるものの、細かなシーンだから誰も気にしていないのか?
取り壊される直前まで1階は牛乳屋だった。
ちなみに地下は30年前はジャズライブハウスだった。びあにも掲載されてたけれど寂れた入り口からは営業しているのが信じられなかった。
うまくピンが貼れなかったので隣の杉田眼科のリンクを貼っておく。

Googleマップに建て壊し前の映像が残っていた。

画像1

画像2

第3作

地元少なめ。
土手の別れのシーンは2作目の「先生の家」近くで、他作品でもよく使われる場所。葛西神社のあたりは古い土地柄から高台になっていて、土手下からでも土手内側の木々が見える。適度な土手の湾曲、鉄橋(電車)も絵になりやすいのだろう。

つくづく作り物だなあと思う。葛西神社のあたりは舞台の場所とはかけ離れている。最寄り駅どころか隣駅も越えている。
それにあんなクソ寒い場所、普通は通勤通学にわざわざ歩かない。
てっぺんの遊歩道に行くには土手が高いから行くだけで結構な運動量。その前に狭くて危ない車道を渡らなきゃならない。土手上に駅とかあって直接土手に出られるのならば別だけど大概リアルじゃ超遠回りなだけ。

第4作

オープニングの土手は第2作、第3作とほぼ同じポイントだった。
登場シーンの土手は、まだ未舗装で、土手のてっぺんを走っている。第1作から考えると土手のてっぺんは車道として往来の激しかっただろう道なので、ロケ部分は線路か街道で行き止まりになっているようなポイントなのではないだろうか。
おばちゃんと妹が語り合っている場面での土手。やはり、今と比べてかなり低い。

第1作と同じ水元公園の木の橋。はっきり「デートしてきたんだって?」と言われてたけど、あそこは基本は釣り用舟で、広い外溜の橋と縁に囲まれたごく狭い範囲か、隣の内溜だけでしか使えなかった。両方とも決して広くはないから舟デートなんてしてたら歩いてる人に冷やかされるの必至。散歩デートどまりが現実的だと思う。あと、現在は外溜にボートは出ていないはず。

脇に目を転じると、まず佐山俊二初登場。今回は商店街の親爺役。個人的な事だが、また子供時分で具体的記憶にはないが、舞台の佐山俊二は私にとって東京喜劇鑑賞眼の礎となっている。今改めて動く佐山俊二が見られる至福。興奮というより祖父に会ったような感覚。つい寅さんそっちのけでテレビに向かって手を振る。
そして出演者名にある「東光生」の名前。これは出光元の前名で、印刷工場のメンツの中に姿を見つけた。スイカの名産地の歌を歌っている時に階段を上ってくる人。

第5作

寝ていた舟が流される場面。最初は江戸川だが、カットが変わると江戸川ではなく高砂の中川と新中川(中川放水路)の分岐点。ロケとしては水の流れ的にも江戸川より安全か。
そんなことよりも東葛飾郡浦安町!10数年後には鼠王国となって激変する町の最後の面影が残されてて、これまた貴重な映像。

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