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大いなる勘違い

たとえコロナ騒動が地球を支配する輩たちによる人口を減らすための陰謀であって、それにより人類の多くが窮地に立たされることになったとしても、では、コロナがなければよかったのか、コロナ前に戻れればいいのかと言えば、決してそうではない。

これまでのように人類が互いに争い合い、エネルギーを浪費し、人間の都合しか考えずに地球環境を破壊する生活を続けていけば、人類は遠からず破局を迎えるしかなかったであろう。

コロナ騒動によって人々が極限まで追い詰められるとしたら、それは本当大切なことは何なのか、何が真実なのかを真剣に考えるための大きなチャンスなのだ。

一番大切なことは、存在するすべてのものは根底で繋がっていて不可分であることに気づくことだ。

敵だと思っている存在もどこかで必ず自分と繋がっている。
だから自分さえよければという考えで、他者から搾取したり、他者を排除したり、他者を殺したりすれば、それは必ず自分に跳ね返ってくる。

それさえ理解できれば誰かに教えられなくても自分がどうすべきかは自ずとわかるはずだ。

教育はまずそのことを教えるべきなのに表面的な知識ばかり詰め込むことに終始している。

教育が荒廃する理由はまさにそこにある。

(真の学者なら間違いなくそのことに気づいているはずだがそのような人たちはなかなか表に出てこない。)

このようなことを言うと、
「だから人間は欲望をもっと制御して生きるべきだ」
と考える人がいるかもしれない。

幸福の総量は決まっているのだから皆で謙虚に公平に分け合わなければならないのだ、と。

実を言えば、それこそが大いなる誤解である。

むしろ人は自分の本当の幸せをとことん追求すべきである。

本当の幸せは皆で奪い合うような代物ではない。

世間でもてはやされる幸せ、例えば他人に勝ったとか、他人と比べて自分の方が優っているとか、他人を支配できるとかいう「幸せ」は、一時的な快感ではあるかもしれないが、実はどこか空しく、長続きしない。

これに対し、心の底から湧き出る真の幸福は無尽蔵だ。

誰かが本当に幸せになれば、それは泉のように湧き出して周りの人にも幸せをもたらす。

自分が本当に幸せになってこそ他人も幸せにできるのだ。
そのことに気づいて自分の本音に忠実に生きればいいのである。

いけないのは「自分さえよければ」という考えである。
それは自分と他者は別物であるという誤った考えに基づいている。

自分と他者は実は心の奥底でつながっているのだから、心の奥底から湧く願いは、自分だけの願いではなく、すべての存在の願いでもあるはずなのだ。

しかし悲しいことにこの世は嘘で固められているため、それに合わせて生きようすれば自分の本音を抑え込むしかない。
多くの人にとってはそれが当たり前になってしまい、本音を出していいとは到底思えないばかりか、何が自分の本音なのかわからなくなってしまっている人がほとんどだ。

そのことに気づかせてくれるのが自分の本当の相手である。
本当の相手は圧倒的な引力で人を本質へと導く。
本当の相手はありのままの自分に自信を与えてくれ、本音を外に出す勇気を引き出してくれる。
本当の相手は人を愛する歓びを教えてくれ、他人と共感できる力を育んでくれる。
本当の相手とは心の一番奥底で真っ直ぐにつながっているからである。




(世の中のすべての人を上の図のように表せば、対角線上にある同じ色の人同士が本当の相手である。)

そこは同時にあらゆるものとの繋がりも感じられる場所である。
だから本当の相手と繋がれば必然的にすべてのものと共感し合えるようになる。

しかし現実には悲しいことに、人々の顕在意識においてはこの図の真ん中が抜けたドーナツ状になっていて、ほとんどの人が他者との繋がりを感じることができないでいる。

私の使命はこのドーナツの中心を埋めることなのだと思う。

それが完成したとき世界は全く違う様相を呈するに違いない。

あらゆる嘘は暴かれて真実が明らかになり、偽物はすべて破壊されて本物だけが残る。

自分が孤立した存在であると信じ込んで、嘘で固められた世の中に合わせるのに汲々としてきた人々にとっては、それはとてつもない衝撃に違いない。

しかしそれは彼らにとって救いでもあるはずだ。
なぜなら偽物にしがみつく人生は彼らにとっても苦痛だったに違いないのだから。