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人間は楽しさに依存するのか

 YouTubeもそうだけどInstagramのリール動画とかTikTokとかの動画系って時間溶けるね。なにもしていない時間の時に開くアプリNo.2ぐらいにYouTube、TikTokが入るから、よく観てると思うしそのまま何時間も……なんてことがある(No.1はTwitter)。

 このご時世になってからおうち時間が発展してきた。SNSでの発信も、動画投稿、映像系のサブスクも需要が高まっている。ぼくは時代の流れに疎い方だけどなんとなくわかる。なんで?多分、時間が潰せるし面白いから。面白いことって1日がちょっとだけ明るくなる、楽しくなる。逆にその時間しか楽しくなくて他の時間を虚無で過ごす……てのもある。ってぼくか。

 その時間しか楽しくなくて他の時間を虚無で過ごすようになったら。ぼくはだったら楽しいことしかしたくない。でもそれはチューイングガムのように、味がしなくなる。さらなる味を求めてまたガムを噛む。味がしない。続けていくとガムを噛んでいなきゃ平穏を保てなくなる。そう、依存。依存症を治すのによく「他のことに楽しみを見出しましょう」とか言われる。虚無の時間を減らすような働きかけをする。なんか人間って楽しいこと、面白いことを常に求めているんだね。そりゃぼくも楽な方、楽しい方、ときめく方がいいもん。そうか、そうか、ぼくはそういうやつだったんだ(自己完結)。

 日々に、同じことの繰り返しに「楽しさ」「面白さ」を見出すって難しい。それはぼくがそう思ってる。だからすぐにできるゲームとか動画、映像作品に娯楽を求める。娯楽がなかったら、日々に少しでも楽しみがなかったら、心がすり減っちゃう。「これをやりきる!」って信念とか気合いがなかったら身体がついていかないし、そもそもそんなパワー、ぼくは持ち合わせていない。休みの日なんて日々の疲れがとれるかわからない睡眠で夕方起床、1日消滅のお知らせ、対戦ありがと……いや、対戦すらしてなくね?あーあ、1日が、貴重な休みの1日が……対戦すらしないまま負けてしまった…………って感じになくなる。貴重な時間、さよなら。

 休みの日に娯楽が組み込めなければ。日常から些細な幸せを摂取する方法をとるしかない。やはり日々に「楽しさ」「面白さ」を見出すところに戻ってくる。1日にメリハリがつけられれば、少しは楽かな?日常を少し変えられたら楽しかったり……?変わり映えのない日々が毎日違ったら。そんな憧れを映像作品で描かれる「非日常」に託して。作品を通して非日常を「擬似体験」することで今日は楽しかった、これが面白かったって1日を満足して閉じられる。そりゃ映像作品、ハマるわ。なんか書いてて納得いった。

 そうして今日も、ぼくはYouTubeという楽しい楽しい娯楽にどっぷり肩まで漬かりながら、時間を溶かす。
 おしまい。

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