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古典占星術とモダン占星術の違いについて思うこと

先日、小説とライトノベルの違いについて話す機会があった。

夫が言うには、小説は、
・その物語の世界観(政治・宗教・歴史など)を一から構築している
・作者によって世界観の設定が、隅々まで丁寧に描写されるため、読者はそれを頭の中で映像化する
ものだそう。

一方で、なろう系などと言われるライトノベルは、
・読者に世界観の構築をゆだねている。
・例えば、本文で「中世風の建物」との記載があるとしよう。しかしその造形の詳細は描かれない。つまり、読者がもともと持っている知識に想像がゆだねられている
のだそうだ。

これを聞いて、占星術のことが思い浮かんだ。
小説=古典占星術、ライトノベル=モダン占星術に当てはめられはしないだろうか。

いま現在、星クラ界では古典占星術がすごく流行っている。
古典占星術は、小説のように硬派で、世界観の造形というか、ルールがきちんと定められた占星術だ。
それは、小説の作者たる先人たちが構築してきた世界観であり、人生はfate(宿命)であるという価値観のあらわれのように思う。

対して、アラン・レオが作り替えたモダン占星術は、非常に解釈の自由度が高い一方で、リーディングは読者たる読み手、つまり占星術師に委ねられている。

よって、厳密なルールを覚えるのは古典の方が骨が折れるが、リーディングや解釈においては厳密なルールのないモダンの方が骨が折れるような気がする。

後者は、人の心を読む難しさにそのまま置き換えられる。

古代の人々がもっぱら占っていたのは人の心ではなかった。
明確な事件であり、運命であり、宿命であった。
だからこそ厳密なルールがあり、ルールに則り正確な占断が求められた。

現代では明確な事件や運命や宿命(事件事故、災害、生死)を占うことは、表立っては忌避される。
代わりに、人の心を占いというツールを用いて和らげるようになった。

読者である占星術師は、相談者の心を星と絡めて読み解いていく。

その難しさたるや。

ライトノベル同様、「中世風の建物」としか書かれていないところから、読み手である占星術師が、過去の経験や知識、自身の体験などを駆使して想像し、創造していく。

それが相談者の書いた心の描写と一致していたとき、はじめて二人は共有の読書体験を得られる。

古典には古典の、モダンにはモダンの難しさがある。どちらの物語を読みたいか、それは趣味嗜好だろう。どちらにも魅力を感じる。

しかしわたしが今読みたいのは、人の心が自由に描いたライトノベルだ。

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