理由は後からついてくる
このためにここに来たんだな、
「来たのかも」ではなく、はっきりと
すとんと腑に落ちる感覚があった。
それは本当に何気ない瞬間で
絶景を見たわけでもない、
何かやり遂げた達成感でもない、
日常だった。
その日わたしは
友人が運転するバイクの後ろに乗り、
バイクのメンテナンスに向かっていた。
雨季にしてはすごく晴れていて、
ピーカンの良い天気。
雑然とした街並みを抜け、
ふと入り込んだ小道だった。
両脇には住居の真っ白な塀が続き、
草木は生き生きとあざやかで。
空の青、白い壁、草木の緑。
ひたすらまっすぐ伸びる一本道。
そのコントラストを友人の背中越しに見上げたときに感じた「これ、」という感覚。
「留学の理由は何ですか」
「なんでインドネシア?」
留学前、留学中はこの質問をよくされる。
その度迷っていた。
当時のわたしは27才、
新卒で働いて5年目だった職場を辞め、
留学を決めた。
自分の中で、
「敷かれたレールをついに降りちゃった感」
があり、この留学には正統で立派な理由(インドネシアで仕事をしたいとか、ボランティアしたいとか?よくわかんないけど、笑)が必要なように感じていた。
なかったのだ、そういう類の理由は。
必死に絞り出して答えていたのは、
「海外にしばらくの間滞在してみたいから」
「英語以外の言葉で外国人と話がしたいから」
「インドネシアは大学時代に行ったことがあって身近に感じるから」
みたいな感じ。
あんまりしっくり来ていなかったけど。
そんな中、「わたしがここにいること」に
圧倒的な納得感を与えてくれたのが
その瞬間だった。
「これでしょ」
「これが見たかったんでしょ?」
ハイハイハイハイ!
これです!
見えない存在と
そんなやりとりが行われたような、
「どうぞ!ジャーン!」
これこれ!この感覚に出会いたかったんです!
みたいに、
しっかり計算されて用意してもらったような、笑
全身で太陽の光を浴びながら
その小道を走り抜ける間
わたしは幸福感でいっぱいだった。
自分の選択について
ほかの人が納得するような理由を
用意する必要はない
ということを
バコンっと
頭に入れてもらえたようなうれしさがあった。
そのときの写真、ないんだよな〜。
撮っとけばよかったな。
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