欲しいものを欲しいといっていいよね
いつの頃からだろう。
欲しいものを素直に欲しいといえず、買ってもらうための理由を探すようになった。
多分始まりはこんな理由だっただろう。
「学校で必要なの」
「習い事で使うの」
いちばん最もらしい理由。
どうやったら買ってもらえるのか、いろいろ考えたのだと思う。
いざというときのお助けグッズにもなるよ。
誰にとっても便利で役立つんだよ。
などと、本当に欲しい理由が、分からなくなるほどのたくさんの"買ってもらう理由"を並べるようになっていった。
大人になれば、「自分の働いたお金で欲しいものが理由なく買えるんだ」と、大人になるのを楽しみにした。
しかし、大人になって自分でお金を稼ぐことを楽しみにしていた私の理由を並べるそのクセは、なくならなかった。
買ってもらうための理由は、両親ではなく私自身へ向けられることとなった。
理由がいつも頭の中をぐるぐるし、自分で稼ぐようになったからといって本当に欲しいものを買っていたかは、定かではない。
さらに、大人になればなったで経済コストまで考えるようになり、欲しいものより安いものを選ぶようになった。
結婚してからは、家族が増えた分無駄なものを買ってはならないと、買わない理由まで考え始める始末。
その挙句の果てに、私は私の欲しいものが、本当に欲しいのかさえ分からなくなった。
そして気づけば、欲しくないモノに囲まれて暮らしていた。
そのことに気づいたときには、がくぜんとした。
何が欲しい?
どんな体験がしたい?
何を味わいたい?
どこで買いたい?
どんな人から買いたい?
そんなことはまったく考えなかったし、イメージもわかなかった。
私の奥底では、いつからそうなってしまったのかを知っている。
なのに、その自分をずっと無視して、だまして、「これが欲しいんだろ?」と欲しくないものを与えていた。
だから、欲しいものを人から貰うことも、プレゼントされることもなくなった。
私は決めたよ。
私が私の欲しいものを選んで決めていいって。
どんな暮らしがしたいのか?
どんな気持ちになりたいのか?
どんな体験がしたいのか?
それとも、ただただ欲しくてたまらない何かを、そのモノが持っているのなら一目ぼれでもいい。
私は私に買ってあげるよ。
そう思った。
これから私は、私のためにスペシャルな体験をプレゼントしようと思う。
それを見ている周りの人にも、そのよろこびが伝わるくらい、スペシャルな気持ちになれるように。
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