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1歳児と在宅育児勤務を一ヶ月半してみた雑感

いまから掲載する文章は、5月の下旬に書いて、6月の中旬に追記して、それから誰の目に触れることもなく私のiPhoneのメモ帳に残されていたものである。あれからまた状況が変わり、いまとは違う部分もあるけれど、供養の念も込めて、ようやく出してみたいと思う。

6月からなんとなく日常が戻ってきたような錯覚に陥っている。私たち夫婦も「かなりヤバイ」と感じたのに、2週間普通の日々を送ると、その記憶が薄れてきた。それはあまり良いことではないと思うから、改めてこの異常事態だった一ヶ月半を振り返る。

▼背景
4月7日から在宅勤務を始める。この時点ではまだ保育園が休園になっていなかった。在宅勤務していることが薄々バレて登園自粛を強く要請される。4月14日から自主的に休園しようと調整していたところ、4月13日から区内保育園の臨時休園が決定した。
4月13日から夫が半日在宅勤務となる。彼は自治体職員で庁内サーバーに繋がらないと仕事にならない部署のため、資料作成や電話対応のみしか自宅で対応できないためこの措置。
4月13日から1週間ほど実弟(近所に住む保育士)に家に来てもらい、夫と私は働き、娘の相手を弟にしてもらう生活。とても助かったが、まだ喋れない(喋っていてもハッキリしないので親しかわからない単語が多々ある)1歳9ヶ月の娘とのやりとりは大変そうだった。
弟ヘルプ期間が終わってからは夫婦二人体制となる。この生活が始まり二週目で闇が見え始めたので、5月は毎週水曜を有給にして自分と子どもの体調調整をするようになった。
5月23日に住んでいる区から「前倒しで開けても5月いっぱいは保育園休みだZE」という連絡が届く。ついでに「6月に開けても登園自粛要請するZE」とのこと。
緊急事態宣言解除を受けて5月25日に園から電話で登園確認。「自粛をお願いしていますが…」「いやぁ〜預かってほしいです〜!」と元気に明るくお願いし、事なきを得る(得てない)。

▼タイムスケジュール
基本的に夫が8時30分から13時まで在宅でその後出社するため、私は8時から14時まで集中して働き、娘が昼寝から起きて夜寝るまでは仕事は休憩し、娘が寝た20時過ぎから復帰して22時頃まで働く生活をしていた。

▼つらかったこと
自分の時間が完全になくなった。我が家はもともと娘を20時に寝させる家庭なので、通常時ならその後寝るまでの時間は大人の時間となり、趣味の時間をとることができ、これで自分のバランスを取っていたのだと痛感した。仕事終わりになんとか巻き返そうとして結果的に就寝時間が遅くなった。
買い物に行けない。夕方は娘と二人とはいえ、買い物には行きづらく、大人しくステイホームして夜にまとめ買いしようとするが、夫が残業で帰りが遅いことも多く、近所の店はだいたい20時に閉まるようになり、そもそも20時以降は仕事をするので平日は無理だった。元々食材は生協で1週間分買っていたが、欠品が続くようになってさらに詰んだ。
娘は一人で遊んだり動画を見て過ごしたりが割とできる子なので、午前中は基本的にそのように過ごし、親に構ってほしがったら主に夫が相手をするという生活だったが、その他昼ごはんや昼寝の寝かしつけなどもすべて夫がやってくれたので、結果的に夫の労働にフリーライドしている感覚がどうしても強く、これがどうしてもしんどかった。とはいえ夫も出社後は残業になることが多く、夕飯〜お風呂〜寝かしつけを私一人で対応する日も多く(通常時は夫と分担している)、さらにはワンオペでそれらを対応した後に2時間近くの労働が待っているというのは気が重いどころの騒ぎではなかったのだけど。
子どもの食事を用意するのが本当に辛かった。保育園に預けている間、昼食+補食2回を食べているので、30日休園になったら用意しなくてはいけない食事は30回分ではなく90回分である。我が家は早々に補食を諦めた。娘からもあまり求められなかったのでなんとか助かったが、栄養バランスが心配だった。目立った体調不良はなかったが、季節柄あせもやにきびが出てきて心配になった。しかしそんなに凝ったものを用意する時間もなく、凝ったところで食べてくれるとは限らないのであった。
娘のイヤイヤ期開始と被った。娘はとにかく嫌なこと、悲しいこと、辛いことを全て「いたい!」と表現するタイプだったので、一日中「いたーいよーいたーいよー」と叫ばれるのは文字通りの意味でないと頭でわかっていても心がつらかった。最初の2週間で闇を見た原因の大半はコレ。しかし後半になるにつれて言葉のバリエーションが増えて、この部分はかなり楽になった。

▼楽しかったこと
娘の1歳9ヶ月〜10ヶ月の成長を間近で見られたことはとても嬉しかった。ちょうど言葉を喋り始める時期だったのか、単語だけの指示だったのが二語文、三語文で話すようになり、コミュニケーションも楽になってきた。動画ばかり見せていたのに、発達面に不安を感じずに済んだのはかなり心的負担を減らしていたと思う。
休日が劇的に楽だった。元々仕事7時間+通勤2時間+育児3時間の生活をしていたのが、仕事8時間+育児13時間の生活になったわけで、平日の負荷が高すぎて、育児13時間のみになる休日が天国のようだった。なお通常時は休日のほうが疲れていた。GWにこの状況だったのは不幸中の幸いで、できる限りの工夫をしながら楽しむのは有意義だった。
職場での雑談が減ったからかとにかく人と会話したくなり、同じ環境の友人と2週間に1回リモート飲み会をしたり、実両親や義両親とのビデオ通話を始めたりした。ただでさえ人と疎遠になりがちなワーキングマザーとしては、リモートで会うことが一般的になった社会の変化はありがたい。
身体はしんどかったが、夜に集中して仕事ができると捗った。出社メインだと保育園の迎えなどの関係でどうしても7時間までしか働けないので、その分自分の価値がなくなる感覚があったが、それらをカバーできるのは精神衛生上良かった。

▼全体を通しての感想
我が家の場合、夫と夫の職場がかなり協力的で、娘の生活リズムが整っていて、金銭的な不安もそこまでなかったから、この程度で済んだが、どこかが足りなければ簡単に致命傷を負っていたと思う。こんなにイージー(敢えて)な環境でも、私も夫もかなりストレスがたまり、普段ほとんどイライラを外に出さない夫が後半は感情的になっていて、もうこれ以上は続けられないと思った。
仕事をしているからという理由で娘を怒らないというのは最初から決めていて、なんとか守れたと思う(まぁ仕事以外で怒ることは結構あったけど)。それもこれも助け合える夫と、少し離席したところで責められない職場の理解があったからこそである。
でもやっぱりこんなことは普通ではなくて、これができたから「在宅勤務で子どもを保育することができる」と思われるのは恐怖でしかない。泣く娘をあやしながら打ち合わせに出たり、私がオンラインで発言するのを真似して大きな声を出されたり、テンキーやマウスを盗まれたりするのはしょっちゅうだった。幸い私も夫も職場の理解があったので追い詰められなかったが、地獄はすぐ隣という感覚が常にあった。娘を寝かしつけた夜に再び仕事に向かうとき、何度も「人権を返してほしい」と思った。
「元の生活に戻りたい」と思うことすら虚しいという感覚。もう「元の生活」など存在しないということを認める恐怖。1歳の娘と花見をしたり動物園に行ったり、じじばばも含めて過ごせる時間を失ったのはもう取り返しのつかない事実である。自然災害と違い、気分転換に人と会うこともできず、外に出ることも憚られ、子どもを預けて休むことすらできず、疫病は恐ろしいことなんだと感じた。あんなに孤独を感じた育休中より遥かに辛かった。だって誰も直接は頼れないんだもん。もともと親族が身近にいない共働き核家族として特化した育児スタイルを組んでおり、保育園や公園・児童館、公的サービスなどをできるだけ多く活用していたので、それらが全て機能しなくなるのは想定以上に厳しかった。そら価値観も変わる。

▼結論
「背景」以下の文章は、5月の下旬に吐き出したものです。「6月になったらこの気持ちを忘れてしまうかもしれない」と思った当時の私グッジョブ。物の見事にこの2週間で当時の過酷さを忘れ、「あぁ〜娘かわいいな〜仕事終わりに飲む酒がうまい!」みたいな状態になっている。鳥頭か。この文章を人目に触れさせるのもどうかとそれなりに思ったは思ったのだけど、「ええいこれも生きた証」みたいな謎の使命感もあり、とりあえず晒してみることにした。きっとそれぞれの人が大変な二ヶ月だったと思う。でも自分が経験していないことを隅々まで想像するのはやっぱり難しいから、書き残しておく。「このパターンはこうだったのか〜!」とでも思ってもらえれば嬉しい。

▼二回目の結論
「結論」からさらに時が経って、7月22日。本来なら明後日、私たち家族は私の故郷である鹿児島行きの飛行機に乗り、親戚の結婚式に参列するはずだった。7月の頭に鹿児島でクラスターが発生し、すぐに結婚式はなくなった。
本来なら、3月の終わりに母が東京に来るはずだった。ゴールデンウィークには鹿児島に帰るはずだった。8月の夫の実家への帰省も延期した。
6月、感染者が減っていたときは、私たちのこんなに辛かった二ヶ月は意味があったんだと誇らしかった。それから時が経って、いまはただ虚しい。
でも、家族の絆はめちゃくちゃ深まった。こんなありきたりな結論をわざわざいうのは恥ずかしいけど、何かを失っていたとしても替えのきかない大切なものを手に入れた。2歳になった娘に「今日誰とお風呂入る〜?」「ねんねは〜?」と聞くと、お風呂が「かーたん」の日は寝かしつけは「とーたん」と答える。逆もそうである。これって、我が家が完全にツーオペ育児をまわせている証だなと思う。いつまで続くかわからないこの状況を、とにかく耐え抜きたい。

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