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2歳児の電話、世界でいちばん幸せなんじゃないか

家族に「ここまで自分の子にデレデレするとは思わなかった」と言われた私であるが、自分でも呆れるほど親バカの道を走り続けている。

最近の娘はついにフルネームで自己紹介をできるようになった。「きむら◯◯ちゃんでしゅ!にさいでしゅ」という。天才。ちなみに1歳目前に「1しゃい!」をマスターした娘は、2歳の誕生日当日に「何歳?」と聞かれても「1しゃい!」と貫いていたが、翌日から「2しゃい」と答えるようになった。これ本当の話なんですよ??

そんな娘は平成最後の夏にうまれ、令和の時代を生きていくナウでヤングな幼児だ。産まれたときからスマートフォンを向けられているし、あまり自粛しないスマホ中毒の両親のせいで日常的に目に入る生活をしているので、当然興味も持っている。幸いなことに娘は他のママから聞くよりはスマホに執着していないようにも見えるので助かっているのだけど。さらに、いまどきおなじみの共働き夫婦の元に産まれてきたので、0歳9ヶ月から保育園に通うプロ園児でもある娘は、スポンジのような吸収力で「保育園」という世界で繰り広げられるあらゆるモノやコトを家庭に輸入して帰ってくる。

最初にそれを強く感じたのは、「電話」だった。

我が家には固定電話もないし、両親もスマホを電話として使うことなどほとんどないのに、四角いおもちゃを耳にあてて何やら不明瞭な言葉を話すようになったのだ。喃語といって、まだ喋る前のいわゆる「あうあう」「なんなん」などという声出しの練習をしている発達段階の時期から、明らかに電話をしている素振りを見せるようになった我が子に、私は驚いた。

「どこで覚えたんだろうね?」「保育園かなぁ?」などとのんきに会話をしていると、家のチャイムが鳴った。我が家は築30年以上の古き良き賃貸アパートなので、今どき珍しいなと思う受話器型のインターホンをとって「あっ」と気づいた。娘、もしかしてこれのことを真似していたのか?

喃語から少しずつ卒業し、単語、二語文、三語文と人間らしい会話ができるようになってきた娘の電話ブームはなかなか終わらない。耳にあてては「はい!はい!はーーーい!」と景気よく返事をしている。「保育園っていうよりインターホンの私たち(親)の真似をしているのかもねぇ」なんてほのぼのと感心していたのも束の間、あの緊急事態宣言がやってきた。

1ヶ月半の間、私たち夫婦は仕事をしながら娘の世話をしていたわけだが、このときに娘が親の仕事を間近で見ていたことによって覚えたのが、電話・パソコン・電卓で「お仕事ごっこ」をすることであった。この頃にはおもちゃの電話やパソコンを買っていたので、せっせとそれを棚から取り出し、「おしごとする、おしごと」と言って家の中を歩き回り、めぼしい場所を見つけて座り、パソコンを開いて電卓を横に置き、おもちゃの電話で「はい!はい!はーーーい!!」と話す。これが娘の「おしごと」である。

私は自営業の父と専業主婦の母のもとで子ども時代を過ごしたので、「おしごと」というと、仕事場にこもる父の背中と仕事道具が作り出す音のことを思い出すのだが、娘にとっての「おしごと」は、パソコンに向かい、電卓をたたき、携帯電話で電話をすることになるのだろう。それが良いとか悪いとかではなく、家庭の中で起こるほんの一部のことが、この子の世界の全てになる可能性があるのだな、とふと思ったのだ。

2歳になった娘は、それはもうよく喋る。なんでも自分でやりたい時期であるけれど、うまく身体が動かせなくてできないことも多いので、「なかなかできないねぇ」と声をかけると「なかなかできない」と返してくるので、あどけない喋り方と副詞のアンバランスさが癖になり、なんども繰り返して言わせている。

電話ブームはまだ続いているが、ここにきてさらに進化してきた。「もしもしぃ?◯◯ちゃんです。はい、はい。おとうさん、おかあさん、◯◯ちゃん!ばーば??」などと流れるように話している。ついに「もしもし」が出てきたのだ。家のインターホンでは「もしもし」などとは言わないし、たまにする家族とのLINE通話などで出てしまうのかもしれないけど、基本的には我が家の中では出てこない「もしもし」。これはもう完全に保育園からの輸入であろう。しかも名乗っている。「◯◯ちゃんです」を覚えたばかりでよく使っているとはいえ、「もしもし、◯◯ちゃんです」ができれば、電話はマスターしたといっても過言ではないのではないだろうか。そもそも電話という概念自体がわかっているからこそ、相手に自分のことを名乗るということができるのではないか。我が子ながら本当に賢い。人生何回目なんだ? などということを、一瞬で考えてしまう毎日。育児って本当に面白い。

娘は最近ひとりで電話相手の誰かと話していたり、鼻歌を歌っていたり、人形ごっこをしていたりしている。私はその様子を見ているのが本当に好きで、このまま死んでしまうんじゃないかと思うほど胸が締め付けられて嬉しくなる。娘のつくりだす小さな世界がどんどん広がっている。私は今日も娘のひとり電話を聞きながら、「これがいちばん幸せなときだったらどうしよう」なんて考えている。

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