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岡田奈々の「暗闇」を聴いて。

お元気ですか。私はお元気です。

例によって岡田奈々の歌ってみたを聴いた私の思いの丈を誰も待っていなくとも語らせて頂きたい。だって今回の曲、私の大好きな「暗闇」だったんだもの・・・!

【歌ってみた】暗闇 / STU48(Covered by 岡田奈々)

凄く凄く不本意なんですけど(しかめっ面)、秋元康ってやはり天才なんですよね。「暗闇」の歌詞がそれを物語り過ぎていて、どう生きればこんな歌詞が思い浮かぶのだろう、と直接聞いてみたい。マイクごりっごりに顔に押し付けて聞いてやりたい。フゴフゴ言わせたい(やめなさい)

秋元康の歌詞で凄いなといつも思うのは、「若い自分」と「大人の自分」の両面を歌詞に重ね合わせることが出来ること。学生の子が聞いても、おばさんになった私が聞いても、いつだって「自分の歌」な気がするんですよね。THE 青春という歌だとしても私は「若い自分」を思い出して、これは私の歌だとかつての記憶に思いを馳せることが出来る。

この「暗闇」は私なりの解釈ですが、子どもと大人の狭間に立たされた「僕」の揺れ動く感情を歌にしたものだと思っております。高校を卒業して大学生とか、その辺かしら。もう少し歳を取った時に、今までの人生でいつが一番印象深かったか?と思い返した時に真っ先に浮かぶ情景かな、と。そこを歌にしちゃうんだぜ・・・天才だな・・・。秋元康のせいで青くさい自分が浮かんじゃうよ。ありがとうよ!!(ツンデレ)

そしてこの歌をSTU48のデビューシングルに持って来るって、天才。天才過ぎるんだよな。腹立つな。これを若い女の子たちに歌わせるんだぜ。そりゃもう響くがな。少女たちの若くて可愛くて儚い歌声で世に出すって、狡いよね。解る。狡い(自問自答)

太陽は水平線の彼方を目指して
R(アール) を描き ただ落下する夕暮れに
何かをやり残してるような悔いはないのか?
僕はまだ帰りたくない

太陽が海に落ちていく所謂夕暮れの時、太陽と海が繋がった線はてっきり水平線と平行に真っすぐかと思ってたんですが、本当はR(曲線)になってるらしいです。写真とかめちゃくちゃ漁ったけどまじでした。その曲線がちょっと名残惜しい感じに見えるんです。まだ沈みたくない、と若干抗っているような。エ、エモ・・・!!と思わず突っ伏してしまったわ。始まりから勘弁してくれよ康。

やりたいこと やりたくないこと やらされながら
理想と現実がごっちゃになっている日々
あの空とこの海がほら 分かれているように
交わらないものがあるってことさ

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私はこの歌詞の部分で勝手に「岡田の真骨頂を見た・・・!」と思ってるんですけど、岡田って表現者としての力が一番発揮されてるのはやはり歌で。上手く自分に照らし合わせながら、その歌詞の奥の景色を重ねて歌うことが出来ていて。何が言いたいって「やりたいこと やりたくないこと」をまじでやらされてる顔してるし、それが声に乗ってる。これって結構凄くないですか?表現者として満点だと思うんです。

作詞者として、こうして歌ってもらえることってめちゃくちゃ嬉しいことで、感動することだと思うんですよ。知らんけど。私は歌を作ったことが無いですけど。私が秋元康だったら、この「暗闇」を観て、直ぐに連絡しちゃう。「ありがとう」って言っちゃう。印税あげちゃう。

夜よ 僕を詩人にするな
綺麗事では終わりたくない
生きることに傷つきうろたえて無様でいたい
次の朝がやって来るまでに
今 持ってるものは捨てよう
丸裸になって気づくだろう
暗闇のその中で目を凝らしてみれば
何かが見えて来る

この部分はもう脱帽です。カツラ被ってたら自分から脱いでるくらい脱帽です(大スベリおばさん)

太陽が落ちて行って、少しずつ暗くなっていって、星が瞬く下の暗闇の中で、人間って語りたくなっちゃったりするじゃないですか。私はそうなんですけど。物憂げな気分になって、ついつい寂しくなっちゃったりして。ちょっと今までの自分振り返っちゃったりなんかしちゃったりして。テヘ☆っつって。それが詩人ってことなのかしら。でもそんなことしないで「僕」はがむしゃらに前に進みたいんだって。ふーん・・・青いじゃん・・・康青いじゃん・・・。

星たちは自分が輝いているその位置と
宇宙の涯で誰かに見られてる自意識
どこかで消えて行った光を知っているのか?
僕は始まってもいない

私はこの歌詞が一番好きです。星に自意識って思ったことあります?私は無いです。なんで秋元康はこんな感性を持っているんだろう。人生で何があったんだろう。人生何周目?

私たちが見ている星は、過去の光です。太陽も月も数分くらいですけど、過去のものです。星なんて1万年前のものを見てるかもしれない。でも星は1万年後の自分の光がどうなってるかなんて、想像していない。星は自分の光が私たちの目に到達した時、自分がどうなってるかなんて、知らない。終わりなんて想像しないまま、光を生み出して、私たちにそれを見せている。誰かが見てくれていると思っている。

この歌詞の中の「僕」はまだ自分が光を生み出してもいない、と自負しているのだと思います。あの星とは違って、「僕」はまだ何も始めていないし、始まってもいない、と。

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見て、この顔。超好き!!!!!!(落とし物:情緒)

岡田も事務所に入ったことによって、これから色々なことが変わって行って、それは良くも悪くも彼女の糧となって、彼女の中でひとつひとつ新しい物語が始まっていくんですけど、「暗闇」をかつて卒業さえも考えていた岡田の新しい一歩となったSTU48のデビューシングルに当てる秋元康って、ストーリーテラーのようで最早恐ろしい。もしかしたら秋元康って1万年前から来てる人なのかもしれない。実は星なのかもしれない。・・・凄い嫌だな(悪口)

故郷 捨てて
僕は絶対暮らせないだろう
水平線見えなければ
今いる場所がわからない

この歌詞も好き。この「僕」は今は生まれ育った場所にいて、恐らく友達はトキヨー(言い方)にいるのかなと思ってるんですけど、トキヨーは窓を開けても海は見えないけれど、「僕」がいる故郷はいつだって海がそこにあって、水平線が見えて、でもそれが無いと「僕」も道に迷いそうになる。「僕」は今自分がいる場所が正しいかどうかも解らなくなっているので。なんてったって子どもと大人の狭間で揺れ動いているので。知らんけど(台無し)

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この歌をSUT48が秋元康から貰った時、岡田はまだ19~20歳そこそこで。それこそ先にも言った通り、AKB48を辞めようかどうか迷っていた時に与えられた、そして臨んだ新しい居場所がSTU48で。私なりの解釈を言うのであれば、この「暗闇」はSTU48全メンバーと、それを引っ張る岡田へ捧げられた秋元康からの応援歌だと思っております。

君たちはまだスタート地点に立ったばかりで、これから光るんだぞっつって。自分の光を探し出せよっつって。でも不思議なことに、何年も経った今でも、光ることが出来てるかもしれない今でも、メンバーへの応援歌になっているんですよね。「暗闇」はいつの自分にも響く歌となっている。メンバーだけじゃなく、聴き手の私たちにも。だってこれもう私への応援歌ですからね(真顔)

秋元康って・・・凄いな・・・。

岡田奈々の歌ってみたシリーズ、これからも続いていくと思うんですけど、その度に岡田の内側を垣間見れた気がして嬉しい。だって岡田自身が好きな歌を、自分に響いた歌を歌っているんだもの。岡田が自分自身と何処か重ねた歌を聴ける、聴かせてもらえるって、なんと贅沢なこと。金払いたいわ。

コイントスも涙の表面張力も大好きなんですけど、いつか岡田だけが出せる消えてしまいそうなほど儚くて、なのに真っ直ぐで強い歌声にバッチリとハマる歌を彼女に与えて欲しい。弾き語りが良い。弾き語りで歌わせたら岡田の右に出るものはいないと思う。ソロコンの弾き語りブロックがなんせ良いので。弾き語りが良い。もう絶対そうして欲しい(私利私欲)

岡田の芸術品な顔は生まれ持ったものですけど、メイクだって研究してるだろうし、歌もダンスも表現力も恐らく「天才」では無く、今まで彼女が必死に積み上げてきたもので、彼女の「努力する」ということは何にも負けない、何にも代えられない武器で。根も葉もRumorのセンターに岡田を選んだのは、秋元康がそんな彼女の背中を他のメンバーに、それこそ新選抜の子たちや今回選ばれなかった子たちに見せる為だと勝手に思っております。

ずんさんがツイッターで「久しぶりのシングルで この状況でセンターをするの絶対プレッシャーもあるし 背負うものも苦しいこともあると思うからみんなで支えたいし、絶対守ろうね … !AKBのセンターで居てくれてありがとうの気持ち … !この曲も奈々さんのセンターも大切にしたい。」と言ってくれたのが全てだと思っておりまする。そう言って貰えるセンターって、凄いよね。強さだけじゃなくて、へこたれちゃう姿もきちんと見せて、それでも背筋だけは曲げない岡田を見てくれてる。ずんさん・・・大好き・・・早くゆうなぁずんで旅行行って・・・。

あの頃のAKB48と同じじゃなくて良いから、今の彼女たちが作り上げるAKB48で、再び誰もが知るグループに返り咲くことが出来るように、私も見守っていきたい所存です。

終始「お前誰やねん」という叱咤が飛んできそうな思いの丈でしたが、ここまで読んでくださったあなたは強者。ありがとうございました!

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