20年以上続けた縮毛矯正を卒業した
自分で選んでよかったこと。
それは20年以上続けた縮毛矯正を卒業することだ。
そんなこと?
そう思ったそこのあなた。くせ毛が私の最大のコンプレックスだったことをまずはわかってほしい。だからこそ3万円近くする縮毛矯正を3か月に1度、20年続けてきた。
2年前、まだコロナ禍にあったころ、私は20年続けてきた脱縮毛矯正を卒業し、自分本来のくせ毛を活かすヘアスタイルに切り替えるよう舵をきった。
20年以上続けてきた最大のコンプレックスを隠すための施術をやめるのは、私にとってそれはそれは大きな決断だった。
けれどそれが結果的に「自分で選んでよかったこと」になっている。
ちょっと長いけど、もしよければ読んでほしい。
「パンチ」というニックネーム
私の髪は強度高めのくせ毛だ。「くせ毛」とか「天パ」ではなく、「縮毛」と言い直した方がいいのかもしれない。
なぜなら「くせ毛」や「天パ」には少しのウネリ程度のかわいいものも含まれるからだ。
「梅雨時になると髪がうねってこまる~」
みたいなことを言っている女性がたくさんいるが、私の髪の毛はそんな可愛い程度のものではない。
1本1本の髪の毛自体がねじれて細かいウェーブの入った、いわゆるチリチリ毛。しかもドライ毛なので、ショートヘアにして何もスタイリング剤を使わなければ冗談抜きでアフロヘアーのように広がる。
事実、小学校の時のあだ名は「パンチ」だった。
一部の男子がふざけてそう呼びはじめたら瞬く間にクラス、そして学年全体の男子の間に広まった。
曲がりなりにも女の子だよ?すこし気の弱い女の子なら傷ついて泣いてしまうレベルではないだろうか。
幸いにも私は、そういった類のことに心を痛めて悩むタイプでもなく、「うるさいなー」とか「やめてよ~!」とリアクションして流せるタイプだった。
おかげで、思春期目前の年齢であっても決定的に傷つくことなく学校生活を送れた。
もっとも、そう呼び始めた男子たちを責められないかもしれない。
だって、小学校の卒アルを見ると冗談抜きにパンチ……と言うかアフロなんだもん。
大げさではなく、下の写真のサイババみたいな広がり方をしていて、本当に遺憾ながら自分史上一番悲惨な髪型が小学校の卒業アルバムに残ってしまっている。
間違いなくわが人生の黒歴史の1つだ。
リカちゃん人形の髪を煮てみた
小学校低学年のころ、リカちゃん人形が流行った。
リカちゃんといえばまっすぐストレートのブロンドヘアを思い描くよね?
でもなぜか、私が購入したのは髪の毛にウェーブのかかったリカちゃんだった。
なぜ王道のストレートヘアのリカちゃんを選ばなかったのか、自分でも謎だ。とにかく私の手元にウェーブヘアのリカちゃんがやってきた。
買った直後はそのウェーブヘアもお気に入りだった。でもしばらく経つと、王道のまっすぐストレートのリカちゃんが欲しくなった。
今思うと自分のくせ毛とリカちゃんのウェーブを重ね合わせていたのかもしれない。(私のくせ毛はチリチリ、リカちゃんはウェービーなので、重ね合わせること自体リカちゃんに失礼なのだが。)
とにかくどうしてもストレートしたかった。
当時の私の育った家庭のルールではおもちゃを買ってもらえるのは誕生日かクリスマスのみ。それ以外で欲しいといっても絶対に買ってもらえなかった。
だめもとで「もう1個リカちゃんんが欲しい」と親に伝えてみたが、暖簾に腕押し、糠に釘。
あきらめきれなかった当時の私は祖母に相談した。
「おばあちゃん、この子の髪をストレートにしたい。いくら櫛でとかしてもストレートヘアーにならない。どうしたらリカちゃんをストレートにできる?」
真剣だった。
祖母はそんな真剣な孫娘の願いをどうにかかなえようと一緒に考えてくれた。祖母から出た案はこうだった。
「熱湯に髪の毛をしばらく入れたら、もしかするとストレートになるかもしれない」
さすがだ。さすが小学校の教員までした祖母の考察と提案だ。もし薬品で髪の毛のウェーブを保っているなら熱湯に入れることでその薬品が溶けだし、ストレートに戻るかもしれない。
さっそく私は祖母に手伝ってもらって鍋に湯を沸かし、ウェーブリカちゃんの髪を煮てみた。一縷の望みにかけながら。
結果は……
残念ながら、祖母が授けてくれた名案も失敗に終わった。リカちゃんのウエーブヘアは熱湯に負けることなく波打ち続けた。
くせ毛に生まれたのはお母さんのせい!
中学校は部活に明け暮れたため、短めのショートにしていた。それが功を奏してアフロになることはなかった。
中三の夏、部活を引退してから色気づいた私は、また髪の毛を伸ばしたくなった。それと同時に小学校のころのトラウマが蘇る。
あの頃と違って思春期真っ只中だった私は、アフロの再来だけはどうしても避けたかった。好きな男の子もいたし、その子にどう思われるかもバリバリに意識していたからだ。
ちょうどその頃、縮毛矯正のはしりとも呼べる「ミスターハビット」が世の中に出始めていた。
当時、くせ毛はストレートパーマでは効かず、くせ毛の人は泣き寝入りせざるを得なかった。ミスターハビットはそこに現れた救世主のような存在だ。
専門的なことはわからないが、今まで不可能だったくせ毛をまっすぐに伸ばせる薬剤が開発されたのであろう。とにかく、くせ毛界隈においては画期的なイノベーションだった。
ミスターハビットという画期的な施術が世に放たれたことを知ったのは近所のちょっとおしゃれな美容室に掲げられた看板だったと記憶している。
「近所」といっても車で5分走らないといけないところにある、白い壁に屋根にはワインレッドの瓦を使った、田舎にしてはオシャレな一軒家風の美容室。
そこに掲げられた「ミスターハビット」の広告を見た時に私の心は高鳴った。
「縮毛矯正」というパワーワードにもこのころ初めて出会った気がする。その美容室の前を車で通りかかる度に、いつか絶対に試す!と心に誓った。
その頃、お年頃の私は自分の容姿について真剣に悩んでいた。目が一重、顔の目立つところにほくろもある。極めつけは、気を抜くとアフロになるこのくせ毛。
ねぇ、神よ。あなたは私に何個の試練を与えれば気が済むのですか。
唯一のプラス要素は肌が白いことだった。「〇〇ちゃんは色白ね〜」と言われるたびに「色白は七難隠す」ということわざが頭をよぎった。
一重、ほくろ、くせ毛。色白が3つの難点を隠している!さらにあと4つも隠せるではないか!
(……いやいや、現実にはアフロは色白でも隠せていなかったよ。当たり前だけど)
15歳。部活も引退したとなれば、受験勉強が本格化するまでは男女の色恋沙汰もちらほら聞こえてくる頃だ。誰と誰が両想いだとか、誰が可愛いとか。
だけど残念ながら私はそんな色恋の話のネタになることはなかった。今ならわかる。くせ毛だけが原因じゃない。この男勝りな性格とか口の悪さとか、15歳の少年たちの恋愛対象にならない原因は容姿だけではない。
でも、私はかたくなに思っていた。「このくせ毛が諸悪の根源だ」と。
そんな思春期の私は、ある日母に「ミスターハビットをやらせてほしい」と懇願した。どうしてもやりたい、その思いを母に打ち明けてるうちに、泣けてきた。気がついたら号泣しながら母に訴えていた。
気持ちが高ぶった私は、最終的に母に向かってこう吐き捨てた。
「こんなくせ毛に生まれたのはお母さんのせい!」
確かに容姿は良くても悪くても生まれ持ったもの。遺伝的な要素も大きく関係する。健康に生んでくれただけでも感謝すべきなのだが、15歳の思春期真っ只中の未熟な私にはそんなことを慮る余裕なんてあるわけなかった。
母も悲しかったと思う。
それなのに、泣きじゃくりながら訴える娘の気持ちを汲んで、当時3万もしたミスターハビット代を母が出してくれることになった。
家計に余裕があるわけではない自営業の家庭で、娘の美容代に3万出してくれた母には感謝しかない。今、この場を借りてお礼を言いたい。お母さん、あのときはありがとう。
3か月の1度の無限ループ
そんなこんなで私は15歳で初の縮毛矯正デビューを果たした。
3時間かけて美容師さんが真剣に施術をしてくれた結果、私の神はまっすぐストレートになった!
ついに、ついにきた!念願のストレートヘアが私の頭に!
(当時)最新の技術のおかげで私の髪は驚くほどサラサラストレートになった。
もっとも、そのストレートはまるで板を貼ったような不自然なストレートで、現代の感覚でいうとオシャレではない。今ならもっと安価に自然なストレートヘアが作れる縮毛矯正は沢山存在する。技術は格段に進歩しているからだ。
それでも当時の私は大満足の内容だった。あれだけ憧れ続けたストレートヘアをついに手に入れた。思春期の少女が抱えていた3大コンプレックスの1つが消えた瞬間だった。
ーーー
初めてミスターハビットの施術を受けてから20年以上、3か月に1度のペースで縮毛矯正をかけ続けた。
18歳で上京し1人暮らしを始めてからは埼玉、横浜、東京と住む場所も点々としたが、何処に住んでいても縮毛矯正を提供する美容室だけは探し出し、3か月に1度のペースを崩さなかった。
なぜ3か月に1度かというと、3か月すると根本のくせが目立ってきて手に負えなくなるからだ。
縮毛矯正をかけた髪は半永久にまっすぐである。でも新しく生えてくる毛はいつものチリチリ毛。だから3か月以上施術しないと、新しく生えてきたチリチリ毛の台頭により収拾がつかなくなる。
だから最低でも3か月に1度、縮毛矯正をかけ続けるしかないのだ。
縮毛矯正はくせ毛の人を救う画期的な施術だ。でもどうしても限界はある。
技術は向上し、髪を傷めずに自然なストレートが手に入る。一度矯正をした髪は半永久なので、くせ毛に戻ることはない。
でも、生えてくる毛自体が変わるわけではない。だから強いくせを持つ人は、縮毛矯正をかけた毛と新しく生えてくるくせ毛のコントラストに悩まされる。
根本はうねうね、その下はまっすぐ、というなんとも奇妙な髪型になってしまう。それを避けるには定期的に縮毛矯正をかけ続けるしかない。
縮毛矯正をかけた直後は理想的な髪形に仕上がっている。でもそれが続くのはせいぜい2週間〜1か月くらいで、1か月もすると根本のくせは目立ってくる。
くせが強ければ強いほどその期間は短くなるし、目立ってきた後のコントラストもはっきりつくので奇妙な髪型になる。
つまり、1度縮毛矯正をしてしまうと3か月に1度の施術が無限ループになるのだ。
縮毛矯正卒業
コロナ禍に入り、人と会う機会が減った。これを機に私は人生を左右する大きな決断をすることになった。
そう、脱縮毛矯正に向けて舵をきることにしたのだ。
ちょうどそのころ「カーリーガールメソッド」という海外発祥のくせ毛を活かすメソッドを日本で紹介するインフルエンサーが増えていた。
良い時代になったもので、現代では求めればSNSを通じて必要な人に出会える。
インスタでたまたま見かけた、ニューヨークで働いていたという美容師さん。ニューヨークのサロンで学んだくせ毛を活かすカットとスタイリング技術で、数々のくせ毛に悩む人々を救っている様子がインスタに溢れていた。
この人に施術してもらうしかない!
そう思い立ってこの美容室に予約をいれたのが2022年の9月。当時、コロナ禍で人と会わないことをいいことに、半年くらい縮毛矯正をやめていたため、根本6センチくらいはうねうねし、そこから下の毛はストレート、という中途半端な状態でその美容室の門をたたいた。
完全に縮毛矯正毛を失くしてくせ毛に入れ替えるには半年から1年はかかると言われ、一瞬ひるんだが、考えてみれば長い人生のたかだか半年から1年。だから思い切ってそちらの道を選ぶことにした。
そこから2年経った現在は完全に脱縮毛矯正をし、100%地毛で生活するようになっている。
現在の髪はこんな感じ。
スタイリングも手慣れてきて、くせ毛(パーマなしの完全地毛)と説明してもたいていの人が信じてくれないほど、まるでパーマをかけているかのように仕上げられるようになった。
ちなみに縮毛矯正時代はこんな感じ。
あまりの大幅イメチェンに数年ぶりに会う人は驚くが、ありがたいことにカーリーヘアは大変好評を頂いている。
何より嬉しいのは、ありのままの自分で過ごせていることだ。
正直、今でもたまにストレートヘアに憧れることもある。でも、昔のようにくせ毛をコンプレックスと思って悩むことは無くなった。
自分で選んでよかったこと。
それは縮毛矯正をやめてくせ毛を活かすことにしたこと。
時代の変化とともに価値観も変化し、SNSによって海外情報が身近になたことなどなど、いろいろな要素が絡んだ結果だが、人生の半分を過ぎたころ、ようやく自分のコンプレックスを逆手にとって強みとして活かせるようになったわけだ。
時代がものすごいスピードで変化しているから、これから先の人生も何があるかわからない。
出口の見えないような悩みにも、突破口が見るかることもあるだろう。
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長いのに読んでくれてありがとうございました!
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