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2022年へ、不完全な手紙

去る年へ。

私の時間は人と思考でできているのだと思います。今年の人の出入りはせせらぐ小川のようにゆったりと流れていきました。

離れていく縁、つながる縁、ぷつりと切れたまま浮いている縁。その縁は結び直せるのでしょうか。長い間、時間が止まったように感じていました。一つの出来事が、大きな隕石のように風穴を残しました。傷つくよりも癒えるのに時間がかかるのは知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。時間も記憶もすべて人を通して作られるのだから不思議です。自分との対話、他人を他人と感じなくなる瞬間、弾けたり、繋がったり、傷つけたり、傷ついたりと、人といる限り感情は死ぬことを知りません。感情とは自分と、他人と、または空想上の他人やその集合体との主観的なコミュニケーションではないでしょうか。

今年は去年よりも自分の柱がぐらぐらと揺れて少し傾きかけています。「べき論」や親密さに少し触れすぎたのかもしれません。地盤が少し浮いた柱は、長く伸びていればいるほど垂直でないことが明らかになるものです。結局自信の地盤の歪みは自信の欠如や認識の歪みからくるのでしょう。自分が持っているものはすべて自分に見合うものなのだと、言い聞かせていきたいです。

今年も繋がってくれていた人々へ。ありがとう、私を変わらず見守ってくれて。ときには癒してくれて。たくさんのものを受け取りました。今年去った人々へ。ありがとう、学びを。あなたたちのお陰でバランスの良い人間関係が学べたような気がします。

年を重ねるにつれて、物事の色彩の多様さが徐々にわかるようになりました。明確性はビジネスやお金周りにだけ使って、他は放置でいいのかもしれない。

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