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どうやら長いトンネルから抜けたらしい

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一昨日、前職の女上司と会った。オフラインで顔を合わせるのは1年半ぶり。
私が何年も行き詰まっていた事を、彼女はリアルタイムで知ってくれていた人だった。
家族以上に、友人以上に、私が悩み、苦しみ、もがいていた瞬間を見てくれていた人だった。人生の中の、影の時間を一緒に過ごしてくれた人。間違いなく私のメンターの1人である。
この女上司と、もう1人、男上司、この2人が私にとってのメンターであると思っている。

久しぶりに再会し、お互いのこれまでと、今と、これからを話した。
去年の夏に心身共にボロボロとなり、この大好きな会社も退職することになってしまってから体験したこと、そこから学んだこと、物事の見え方や考え方が180度とはいかなくても、グリンっと変化したこと。
そんなことを聞いてもらった。

すると彼女が、「Izumiさん、乗り越えたんですね。」と。
乗り越えた、のか、私。

もがいていた当時、その“何か”が分からないままだった。むしろ、分からないから何年も行き詰まっていた。
当時私は、そんな自分に起きている状況や感情をこう上司に伝えていた。

“何年もずっと、曇りの中にいるみたいなんです、雨が降りそうな曇りなんです”。
“何年もずっと、檻の中にいるみたいなんです、いつからかは分からない、きっかけも分からないけど、自分で自分の作った檻の中にいるような状況なんです”。

ちなみにその檻に関しての表現は、当時少しずつ変化していった。
“檻を開ける鍵が見つかりそうです”。
“鍵をいくつか見つけて、開くかどうか試してます”。
“鍵が開きました!”
“扉は開いたのに、外の世界が見えなくて、もう出ていいんだよっていう状況なのに出られないでいるような感じです、どこに向かって進んでいけばいいのか分からないです”。等々。

ただ、彼女もまた、その“何か”は当時分からないまま、でも分からない“何か”という事だけは共有してくれていた。十分、有難い存在だった。

ここ一ヶ月の間で、ようやくその“何か”が少しずつ見えてきた気がしている。

私自身、何年もずっと“今を生きられていない”と感じていた。それが苦しかった。
それがどうしてなのか、何がきっかけなのかも分からなかった。
少し前の記事で、女性特有の30歳の謎の壁について書いたが、漠然とした未来への不安視。これが大きかった。


それと、過去への執着。
執着というと悪く聞こえがちだが、私は根っからの温故知新タイプで、思い出とか人との繋がりとかを、それはそれはもう川から流れる桃を拾って持ち帰り大事に大事にしてしまうタイプだった。
老若男女問わず出逢う人とのご縁とか、繋がりとか、そういうものに逐一感情移入したりして、何かとグッときやすい人間である。これは完全に父親の影響で、人とか人生とか、背景とか、そういうことに対して熱い。。
物も人も思い出も、良いという感情が一度でも生まれればそれを嫌いになることは中々なくて、というか出来なくて、人間関係、特に恋愛なんかだと圧倒的に傷がつきやすい側。それでも愛の形が変わるだけで、その相手から学んだものも得たものもあるわけで、出逢いも関わりを持った時間も別れも、全部込みでベストなタイミングで起こっていると考えている。

つまり何が言いたいかというと、変えられない過去とか、どうなるか分からない未来とか、そこに思いを馳せる時間が圧倒的に多くて、それが3年前、27歳ごろ、キャリアとかプライベートとかを見直し始めてからハマったこの3年間の影の時間。曇りの間。檻の中。だったわけである。

と断言しちゃってるけど、人生でそうない今回のお休み期間中、少しずつ少しずつ、脳内のごちゃごちゃが紐解かれていって、繋がり直していって、空間ができていって、辿り着いた今の考えを、文字に起こして整理してみている。

今回体験した影の時間のお陰で、この不安定な世の中で、
“いつか”とか“これからの自分”に期待しなくなり、信用もしなくなった。
悲しいことかもしれないけど未来が確実に訪れるか分からないのは世の常で、ましてやこの不安定な世の中なのが事実で、だからこそ人の想いを取材して記録するという夢ができた。

そんなわけで20代で積み上げてきたキャリアも去年の夏で一旦強制終了となり、自動的に過去を手放す状況になっていた。
物理的な物に関してもまた、このお休み期間中しばらく実家で過ごした時間のお陰で、先日自分のアパートに戻ってきて環境作りをし直して、今の自分が心地良いサイズ感にしたら心身共にヨロコビが凄い!
不要になった状態の良い物は、今の私以上にベストな使い方をしてくれるであろう知り合いたちに貰ってもらった。その循環もまた嬉しい。

過去に良いと思った物が、人が、今の自分にとっても良いのか、必要なのか、なんなら過去に決めた目標や夢が今でも同じなのか、必ずしもそうでない事、このシンプルな事を自分の中で理解して納得できるまでに相当時間が掛かった。

常に“今の自分”にベストマッチなその瞬間の答えを出すこと。
探す必要もなく、決断すること。それを繰り返していく。
自分も世の中もどんな状況であっても常に今できることを、やること。

これを一ヶ月ぐらい意識的に続けてみたら、気付けばもう過去も未来も前ほど手の中にはなくなって、3年間出来ずにいた、“今を生きる事”しか出来なくなっていた。

よく、“重い荷物はおろして”と言うけれど、私にとってはそれが過去への執着と未来への不安視だったようだ。

今でも先は見えない。それは変わらないし、不安定な状況にいるけど、
確実に前までの“先が見えない”とは意味が違う。
今私がいるこの状況は、少しずつ青空が見え始めてきた、雲が流れ始めている状況であり、どこに進んでいくかは分からないけど、檻の中からも出てみたところ。である。

ここまでを全て聞いてくれた私のメンターである女上司。
私の影の時間も、どうやら乗り越えたらしい今も、知ってくれている人がこの世の中に1人でもいてくれる事が、尊くて、何より退職後の今もこうして見守ってくれている関係性が有難くて愛おしい。

私自身が今回経験した“人生の中の影の時間”は、たまたま不安定な世の中と重なって、ダブルパンチを喰らったこの一年弱。
代償はデカかった。けど、この経験、体験から得られたものもまた、デカかった。

こうしてnoteには色々と残しているが、私の大好きなアン・ハサウェイの出演作品、プラダを着た悪魔のセリフを借りると一言で済む。

“Learned a lot.(多くを学びました。)”

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