物件名乗っかり問題
先日、歩いていたら「横浜桜木町」とついた名前のマンションを見かけたのだが、その名前に引っかかりを覚えた。
「ここ、桜木町じゃなくない?」
調べてみると、そのマンションの所在地は宮川町だった。桜木町とは野毛町を挟んで別の町である。つまり嘘だ。「消防署の方から来ました」みたいなものだ。こんな詐欺がまかり通っていいのか!けしからん!
……といきり立つのはまだ早い。こんなにも堂々と隣の隣の町の地名を名乗るからには、この宮川町のマンションにもきっと「桜木町」を名乗れる正当な理由があるのだろう。
まず、集合住宅の名前に地名を採用する場合について業界団体である不動産公正取引協議会連合会が定めた「不動産の表示に関する公正競争規約」の第19条「物件の名称の使用基準」は次のように定めている。
このうち(1)の例としては九段下が挙げられる。「九段下」という名前は行政地名ではなく、あくまでも正式な地名は「九段」だが、慣習的に用いられてきたものであり「九段○丁目」よりも通りが良い。(3)の例としては「ウィークリーマンション首里城」というマンションがある。ここは首里城から約30mのところにある。(4)は「表参道ヒルズゼルコバテラスEast」や「アトラス渋谷公園通り」などがある。どちらも当該道路に面している。
さて「横浜桜木町」(本当は宮川町)のマンションである。まず「桜木町」は「慣例として用いられている地名」でも「歴史上の地名」でもなく厳然たる行政地名なので(1)ではない。公園や通りの名前でもないので(3)も(4)も違う。となると残るは(2)しかない。このマンションの「最寄り駅」が桜木町駅ならば、「横浜桜木町」を名乗っても何の問題もないことになる。
「横浜桜木町」マンションの「最寄り駅」として不動産サイトに記載されていたのは以下の4駅である。
「最寄り駅」とは「自宅から最も近い駅」なので、普通に考えれば日ノ出町駅が最寄り駅のように思われる。しかし「最寄り駅」の定義として、このサイトでは「1.5km圏内」を採用している。この基準だと先ほどのA~Dすべてが最寄り駅の資格があることになる。例えば通勤・通学の経路によっては桜木町駅から行った方が早い・安いこともあるだろう。そういうことも考慮して不動産サイトでは異なる路線でギリギリ「近い」と言えるレベルの駅を選んで記載しているのだと思う。
通勤手当を例にとると、「通勤経路」とは「最も経済的かつ合理的な経路」のことである。「最寄り駅」が複数あり、どの駅を使っても行けなくはない場合でもその中から「最も」いいルートを選ばなければならない。そのルートの選定基準は「経済的『かつ』合理的」となる。通勤手当の支払いを最小限にしたいからといってとにかく安さだけを考えて自宅のすぐそばの駅ではなく1kmぐらい離れた駅しか認めない、とかやってはいけないわけである。それがまかり通ったらそもそも徒歩で来るのが一番安いということになってしまう。なので、「経済的」を「合理的」が上回った場合はそれが許容範囲内であれば「合理的」の方が優先されることになる。通勤経路において、経済的であっても合理的ではないことはあっても(徒歩など)合理的であって経済的でないことはなかなかないはずだからだ。
これを念頭に置いて、仮に通勤先を品川だとして考えてみたい。
続いて、この区間の通勤定期券の値段を調べてみた。
日ノ出町の方が1,560円高くなるが、自宅から駅への行きやすさでいえば圧倒的に日ノ出町駅に軍配が上がる。少なくとも私が担当者だったら日ノ出町を最寄り認定する。「桜木町からの方が1000円安いから桜木町から来い」とは言わない。
あとは実際このマンションに住んでいる人の通勤・通学に使用する方の駅を調べてどの駅を使用している人が多いか割り出せば「実質的な最寄り駅ナンバーワン」は決められるだろうがまあそこまで調べることはできない。
ただ一つはっきりしているのは、仮に住人が全員日ノ出町から通勤・通学していたとしても「横浜桜木町」を剥奪されることはないということだ。理論上桜木町を最寄りにする確率が0%ではない限り「桜木町」を冠する資格がある。
そう考えると(2)はかなり便利なように見える。駅・停留場・停留所の名前についており、1.5km圏内(ギリ「近い」場所)にありさえすれば実際の住所がなんだろうとその名を名乗れるからである。先ほどの「表参道」の例では、通りとしての「表参道」に面していない奥に入ったところにあるマンションでも(2)を利用して「表参道」を冠しているものがいくつもある。我々が「乗っかり感」を感じるマンション名の多くは(2)の幅広く適用できる便利さのせいだったのだろう。
そう、この「横浜桜木町」マンションを見た瞬間のモヤモヤ感とは「乗っかり感」のことである。この「乗っかり感」にも2種類ある。
②はいい。我々が勝手に抱いている地名へのイメージのせいであって物件にも命名者にも罪はない。問題は①である。(2)という強力で便利なルールを根拠にした正当な命名であるにもかかわらずモヤっとしてしまうのは、その住所にないにもかかわらず「桜木町」のようなブランド力のある地名を使うことへの割り切れなさを覚えるからだ。本当は他県出身なのに大人になってから京都に住み始めて「地元は京都」と言っている人にもモヤっとしたことがあるが、「横浜桜木町」マンションに感じたのもまったく同じ「ブランドイメージへのタダ乗り」へのモヤモヤだ。
しかし、ブランドイメージにタダ乗りしたところで住んでいる人は町名とマンション名を両方書くので、「桜木町って言ってるけど宮川町なんだよなぁ」としかならないだろう。となるとこれは一体誰に向けた命名なのか。実際の住所はどうでもいいからとにかく「桜木町」とついている家に住みたい人向けなのか。ブランド力のある名前なら高い家賃取れるとかそういうシステムでもあるのか。考えれば考えるほどわからない。
物件名のルールは論理だが、胸の中に湧き上がるモヤモヤは感情である。論理と感情はすれ違うものである。これからもあのマンションはルールに基づいて堂々と「桜木町」を名乗り続け、私は見るたびにモヤモヤし続けるだろう。
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