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ただひたすら大野雄大を褒めちぎるだけのnote

 大野、今度英語圏の人に「名前が不吉」って言われたら「日本語でmagnificentって意味だ」って言ってやれ。


 そんな大野magnificentが10回に完全試合を逃したことについて、「悲劇」という言葉を見出しに使うネットニュースをちょくちょく見かけた。

 ではここでその「悲劇」のピッチャーの試合後の表情をご覧ください。

 悲劇とは何だったのか?という上々の滑り出しを見せたところで本題に入るが、中日ドラゴンズ公式YouTubeチャンネルが映した試合後の姿も、「悲劇性」などという言葉とは無縁な「いつもの大野」だった。石川くんについて「ユンケルのおかげで打てた」を連呼しすぎて何かユンケルのステマみたいになっているところも含めて。



 試合が決した瞬間、ペットボトルを手に真っ先にベンチを駆け出していく大野の姿を見て私はかなりグッときた。そこには自分の記録を逃した悔しさよりも、チームの勝利への喜びがみなぎっていた。


 もちろん完全試合はやりたかっただろう。記録は誰だって欲しいに決まっている。でも大野は「チームが勝てて本当によかった」と言う。誰もが認める大エースでありながら、ひたすらチームのためだけに献身的なピッチングをする。それが大野雄大である。


 そういえば、あの大野事変でも私がキュンとしたのはその献身ぶりに対してだった。あの時も両チームゼロ行進が続いていて、9回打ち切りだったのでそのままスコアレスドローという形で終わったが、後に大野が語った通り「『先に点やったら負けや』と自分に言い聞かせながら投げていた」という雰囲気は観ているだけでも伝わってきた。味方が点を取ってくれなくても、気持ちを切らさず淡々としかし気迫を込めて投げ続ける。緊張感を切らさずに8回まで投げ抜くことは並大抵の精神力でできることではない。それができたのはひとえに「チームのために投げている」という自覚があったからだろう。


 誰かのために我慢できる人が好きだ。それは行き過ぎると自分を殺して誰かに尽くす自己犠牲になってしまうが、誰かのことを真摯に思いながら自分にできる限りのことを全力でやれる人は、自分のことしか考えていない人より魅力的だ。と、思う。そしてたぶんそれは私に足りないものの1つなので、それを持っている大野がすごく好きになったのかもしれない。


 そんな大野を先週の金曜日にやっと今シーズン初めて観に行けた。本当なら4月上旬にもう行けてるはずだったのに。何らかのアレのせいで。何らかのアレ絶対に許さないからな。

二塁への送球を避ける大野、好き。


 初めてドーム球場で観る大野だが、調子自体はあまり良くなさそうだった。というか先週が異常なのであってそれと比べてはいけない。それでもなんだかんだでまとめ上げてくるのが大野magnificentのエースたる所以である。特にたいし(虫明さんのヤクルトエッセイを読んでいるとどうしてもたいしって呼びたくなっちゃう)から見逃し三振を奪った(そしてそのまま降板した)ラストボールは痺れた。


 テレビで毎週観てるにもかかわらず、生で大野を観るとあまりのカッコよさにびっくりしてしまう。大野のカッコよさの本質はここぞという時にまったく反応できない球で三振を奪うようなエースぶりにある。祖父江さんにもなかなか負けていないあまりにも鋭い眼光を見ていると、とてもインスタで胸の大きなお姉さんばかり見ている男と同一人物とは思えない。

(大野雄大が胸の大きなお姉さんを見ていることを「これはお仕事や」と言い張っている話はこちらから)


 でもそんな種々のギャップも含めて大野雄大であり、それが大野雄大を最高の男たらしめているのである。今年もとにかく元気に毎週投げていただきたい。完全試合もできればやっていただきたいが、やってもやらなくても大野はパーフェクトだ。





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