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ピッチャーの推し方

 ピッチャーというのは本当に大変なポジションだと思う。野手ならばいくらチャンスの場面で打てなかろうが大事な場面でエラーをしようが、「敗戦野手」なんて肩書きがつくことはない。それがピッチャーだと、「勝ち」も「負け」もその人につく。その記録はシーズン中ずっと括弧つきで付きまとう。「○勝○敗○S」。ピッチャーの勝ちはチームの勝ち、ピッチャーの負けはチームの負けである。


 投じたボールが打たれようが凡打になろうがデッドボールになろうが、とにかく野球はピッチャーがボールを投げない限り始まらない。投げなければ打たれることもないのだが、そうしないと何も前に進まない。

 もちろんピッチングはバッテリーを組むキャッチャーとの共同作業だし、バックで守ってくれる野手陣もいるから1人でやっているわけではないのだが、マウンドに立つその姿を見るたびにいつも「孤独」を感じてしまう。打たれるか抑えるかは自分の球次第、勝ちも負けも責任は自分で背負う覚悟。それを見ているしかない一観客としては、そこに立っている人が好きであればあるほど緊張する。早く終わってほしいと思う。でも好きになっちゃったのだから仕方がない。


 唐川侑己さんが打たれた時、「打たれた」が絶対正しいのにどうしても「撃たれた」と変換したくなってしまう。でもホームランのこと「弾」って言うし数え方は「~発」だし、弾丸みたいなものだから合ってはないが間違ってもいないのではないだろうか。


 1回目は4/28の西武戦だった。8回裏、あのミスターレオこと栗山巧様(様づけしたくなっちゃうよね)に浴びた1発が今シーズン初被弾であり初失点となった。私は思いっきり遅刻したので打たれたところは見ていなかったのだが、速報か何だったか忘れたがそれを知った時は動揺しまくった。


 こんなことを口走ってしまう有様だった。あと「同じ平成1桁7月生まれで星座が同じだから実質私は唐川さん」と少ない共通点を振りかざした覚えもある。


 もちろん私が見ている/見ていないが試合の進行に何の影響ももたらさないことは承知している。が、それでも「見てたら打たれなかったのでは?」とどうしても思ってしまう。それに後で知るとか速報の文字だけで知るとかよりもせめてリアルタイムで見ていた方がダメージが少ない気もする。気がするだけであって少ないとは言っていない。



 そして2回目がまさに昨日の西武戦である。また西武。唐川さんの思い出はいつの日も西武。この試合の先発はあの泣く子も黙る佐々木朗希くんだ。プロ初登板初勝利、「令和の怪物」と称されるピッチャーの門出としてはこれ以上なくふさわしい称号ではある。でも8回表、バトンを受けた唐川さんは捕まってしまう。今回は栗山巧様には打たれなかったが栗山巧様以外に細かく打たれた。2者連続フォアボールとかあったような気がするがいろいろ起こりすぎてあまり覚えていない。とにかく「いつもの唐川さん」ではなかったことだけは確かだ。


 この回2点を失い、朗希くんの白星も消えた。でも逆転されはしなかった。私なら追いつかれた時点でこの試合をなかったことにしようとするだろうが、そこは私ではなく唐川侑己である。打たれようが何をされようがぐっと耐えていた。同点、なおもランナー3塁という大ピンチながらも、ライトへの打球をマーティンがスーパーキャッチし、この回はようやく終わった。そしてこの点数から動かないまま試合は引き分けで終了した。そう、失点した段階でなぜかもう「あぁ今日は負けだ……」と思ってしまっていたがよく考えたら引き分けだ。朗希くんに白星はつかなかったが唐川さんに黒星もつかなかった。どっちのチームの誰にも星はつかなかった。ただハーマン先生に記念すべき通算100ホールド目がついただけである。ホールドは勝敗に関係なくつくものだということをこの時初めてちゃんと認識した。もうちょっとちゃんと公認野球規則を読もう。



 唐川さんは大変なポジションにいるのだなあとつくづく思う。リリーバー、しかも勝ちパターンである。「勝てる試合」の8回という正念場と呼ぶにふさわしいタイミングでマウンドに上がる。大事な勝ちパターンである以上援護点も10点とか20点とかではない。1点差だったり、あるいは同点だったりする。先発が7回2失点なら十分好投だが、リリーバーが2失点したら調子の悪いピッチングである。その失点が命取りになることもある。無論ピッチングマシンではないのでいついかなる時も同じ球を投げられるわけではない。調子が悪くてもなんだかんだで抑えられる日もあれば、いい球はいっていたのにバッターの調子がそれ以上によくてかっ飛ばされる日もある。ただ調子がどうであろうが、リリーバーはその緊迫したマウンドに立たねばならない。


 こんなに大変なのに唐川さんはいつも淡々としている。リリーフカーに乗っている時は本人曰く「何も考えてない」「無」。どんなピンチを背負おうと顔色ひとつ変えず、同点に追いつかれても表情は一切動かなかった。悔しさとか歯がゆさとか、そういったものを感じていないはずはない。でもそれを表に出さない。


 彼の座右の銘は「泰然自若」であり、座右の銘をこれほど忠実に実行できている人を私は知らないが、いい時だけ落ちつくのは誰にでもできる。肝心なのは悪い時にも動じず、どっしり構え、気持ちに一本ピンと線を張ることだ。


 翻って私はどうか。こっちは「泰然自若」ではなく「支離滅裂」の方がよほどぴったり合う。四文字じゃなくてもいいなら「情緒不安定」とかでもいい。前のイニングあたりからもう震えが止まらないし1人ランナーが出ただけで吐きそうになる。大丈夫だろうか。まったく大丈夫ではない。「唐川侑己=しろたん」の図式が今でも成り立つのかどうかはわからないが、私は唐川さんにハマるずっと前からしろたんが好きだったので(運命では)、お守りとして花冠しろたんマスコット(※ヘッダー)をずっと握りしめている。音が鳴るものなので握りしめすぎてたまにキューキュー鳴く。我ながらひどい。こちらは唐川さんの「泰然自若」を信じることしかできない。



 マウンドの唐川さんを見ている時、つい「がんばれ」と言ってしまう。これもまた曲者だ。今まで藤原くんを筆頭に、高校球児の頃から追っている年下の選手ばかり推していたので、いざ「ベテラン」を前にするとどうしたらいいのかわからない。「がんばれ」はおこがましい気がする。相手はこちらがランドセルをしょっていた頃からプロ野球選手をやっているのである。シルバニアの赤ちゃんを集めてかわいいかわいいと愛でた後にお父さんやお母さんを見たらめちゃくちゃに大きく見えて戸惑う、みたいな感覚に似ている。それにまだ推し始めてから1か月くらいしか経っていない。14年のうちのたった1か月。高卒ルーキーとしてロッテにやってきてからいい時も絶不調な時も先発だった時も中継ぎの今もずっと見てきた人たちのことを考えると、愛に年数は関係ないと思いたいが実のところ関係なくもないよね、となっているのでますます畏れ多い気がしてしまう。


 ただ、ベテランには長年の経験があるだけに調子が悪い時があってもなんだかんだ冷静に戻してきてくれるだろう、そういう「育てられる」年代を脱したプロの安定感がある。プロ野球はある日の調子の悪さを挽回するチャンスが比較的すぐ巡ってくる(これも人によるが)のがいいところだ。唐川さんが打たれたらもっと絶望して泣いてもうプロ野球なんか観ないとなるかもしれない、と戦々恐々としていたわりにそうなっても意外とこんな文章を書けるぐらい大丈夫なのは、そういうところのおかげだろう。



 あんまりこんなことは言いたくないけれど、ネットだとごくまれに負けた試合で選手をボロクソにぶっ叩く言葉を目にしてしまうことがある。それが目に入らないようにするために死力を尽くして避けているので「ごくまれに」で済んでいるのだが、唐川さんがそういうことになった後はなぜかSNSだのYouTubeだのをほんのちょっとだけ見てしまう。覚悟を決めて覗いてみたら、思ったより温かめなコメントが目に入った。打たれた時は泣かなかったのに、そんな時はちょっと泣いてしまう。この前某所で「唐川なら打たれても仕方ないと思えるくらい信頼感がある」というのを見て泣いたしスクショした。そこまで信頼してくれる人がたくさんいることは幸せなことなのではないかと思う。そしてこれほど信頼される唐川さんが羨ましくすらある。でも、それは彼が14年かけて自分の力で培った信頼だ。なぜか打たれた時に、より唐川さんのすごさを思い知らされる。



 とりあえず私はこれからもしろたんを握りしめて見守ろうと思う。もちろん朗希くんも。次こそ白星。みんながんばろう。私もがんばるから。応援を。あともうちょっと精神面の鍛錬。


P.S. それにしても昨日の試合のマーティンがすごかった。いつもすごいが昨日は特に神がかっていた。マーティンのプレーに唐川さんも救われたし(あのキャッチがなければ間違いなく逆転されてた)ついでに私も救われたし(推しに黒星がつかなかった)とにかくもういろんな人が救われた。ついでに「すなかけ」をして源田さんの命中率も下げてくれた(?)。引き分け試合にヒーローはいないが、私の中ではヒーローである。この人がこのチームにいてくれてよかった。ありがとう。


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