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アニリール・セルカンと過ごす2021年GW(いやだ)〈「ポケットの中の宇宙」・前編〉

[ShortNote:2021.5.5]

 かつて東京大学大学院にはアニリール・セルカンというドイツ出身トルコ人の助教がいました。東大に提出した博士論文に何箇所もの剽窃などの不正行為が見つかり、2010年に東京大学史上初めて学位剥奪処分を受け、それから数々の経歴詐称が発覚し表舞台から姿を消した人です。

 私はこの人の存在を最近まで知らず、Wikipediaなどで見て興味を持ちました。彼が日本で出版した著書3冊を図書館で借りてきたので、せっかくのステイホームゴールデンウィークということでこの3冊を読んだ感想等々をノートに書き出していたら腱鞘炎になるかと思うほど腱鞘炎になるかと思うほどたくさん出てきたので、私の2021年ゴールデンウィークの総決算をここにも残しておこうと思います。

 先に言っておくと完全に「経歴詐称がバレて大炎上した詐欺師の書いた本」というバイアスバリバリの状態で読んでいるのでかなり意地悪な見方に偏っていると思われます。小姑目線です。

「ポケットの中の宇宙」中公新書ラクレ/2009.8.10

 読みたい順に読んだので時系列的には最後の本からになってしまいました。「この資料には汚損箇所があります。あらかじめご了承ください」と図書館からのメッセージがあり、水濡れしていたのですが読んでた人が「経歴詐称詐欺師が偉そうに何言っとんじゃボケ‼(怒)」と水をぶっかけたのでしょうか。

 それはいいとして「それっぽいことをそれっぽく見せる技術」のテキストとしては大変有意義でした。私もそれっぽいことをする技術を日々磨いているそれっぽニストですので(?)。それ以外には別に価値ないです。最近「わが闘争」を読んだので立て続けに歴史に残るおかしい本を読みすぎだなと思いました。評価はともかく世界中の人に知られた「わが闘争」に比べたら残り方がしょぼすぎますけれども。そういえばこの本の中でヒトラーについて

ヒトラーのやり方は、決して正しいものではありません。しかし、自分の目的のために人を使い、いうことを聞かせる。そうした技術に関して彼はある意味「偉大」なのです。(p.129)

 と言及されています。このヒトラーへの評価自体は別に引っかかるところはない。「やったことは最悪だが演説家としては才能があったことは間違いない」というのがだいたいの見解ですから。でもセルカンがしっかりした実績もなく口八丁手八丁だけで権威を得ようとした男だということを踏まえると味わいが変わってきます。

 画家や建築家になりたかったのに入学すら許されず正統ルートでその肩書きを得ることはできなかったけど喋りの才能を武器にして政治の世界でのし上がり権力を手にしたヒトラーはセルカンにとって「たいしたこともしていないのに口の上手さで欲しいものを手に入れる」理想の姿ですらあったんじゃないかと思ってしまいました。「建築」というワードは共通点ですね。


第1章 タイムマシンに乗って

 これまでの経歴という名の自慢話タイム。昔は悪かった系武勇伝もあり。スイスの寄宿学校でイタズラをしてボヤ騒ぎを起こして校長先生に怒られ退学になった話。

 「この寮は一七世紀に建てられた、歴史ある建造物なんだぞ。お前らがしたことがどれほどのことか、わかっているのか!」と怒り、セルカン父に「あなたの息子さんは、わが校始まって以来の悪さをしでかしました。まったくもって期待はずれでしたな。これまで七年間払った奨学金は全額返してもらいますよ」と言い放つ校長先生。ごもっともです。奨学金というのは真面目に勉学に励む生徒の援助のために与えられるものであって、「授業なんて聞くだけムダだ」と言い悪友たちとサボりまくり15回も停学をくらい(一応疑問に思ったことを質問しただけなど理不尽とも思える停学もあったようですが)最終的にイタズラが原因で火を出し学校を危険にさらす悪ガキに支払われるお小遣いではありません。

 が、そう言われたセルカン父の反応。

ようやく校長先生が一息ついたとき、父は初めて口を開きました。「話はそれで終わりですか?」「というと?」校長先生は、拍子抜けした表情で聞き返しました。「あなたが今した話は、私たちが信じた教育とはあまりに違いすぎる。…」(p.21)

 は???

 いや、ちょっと待ってほしい。ガチガチに学校が生徒を管理して抑圧していたとかあったのかもしれませんが、それよりまずボヤ騒ぎに対して謝罪するとかすべきでは? 軽いことのように書かれていますが、ボヤが大きくなっていたら(「火は想像以上の勢いで広がりだします」とあるのでもっと広がっていても対処できなかったかも)寄宿舎の他の生徒や先生たちの命が危険にさらされていた可能性も十分にあるわけですよ。まず発端となった「寝ている仲間の足の指に新聞紙を挟み、自慢のジッポーで火をつけてからかっていたのです」ってイタズラからしてひどい。火傷とか大ケガをしたら責任取れるんでしょうか。そういう過激なことをやるのが年頃の男の子のイタズラだと言われればそれまでですが。

 息子が一歩間違えば他人の命を脅かしていたかもしれない行いをしたのに父のこの反応はなんだ。ここで息子の代わりに平身低頭して謝ってそれを見たセルカンが感銘を受けて……とかいう展開ならまだよかったけど、「私たちが信じた教育」ってなんだ?悪ガキたちがふざけて学校を燃やしかけてもお~いいよのびのびやりなさいニコニコ、で済ませるような教育をしてほしかったのか?地球上にはそんな学校ない。ボヤとはいえ火災を起こしかけたのは重大なので「わぁ~毅然としたお父さんステキ!」ではなくセルカン父もヤバい人じゃんモンスター父子放逐できてよかったですねとしか思えません。

 スキーの大会に出てる選手見て「俺の方が速い」と吹かし飛び入りでいきなり滑ってダントツ1位のタイムを叩き出しその場でトルコ・ナショナルチームの選手に選ばれそれに感銘を受けた仲間たちも次々とイタリア、スペイン、フィンランド、ドイツでスキー選手になってしまったセルカンさんカッケー。どう見ても回転競技なのに「大回転」として写真を載せちゃうのもスキーの専門教育を受けたエリートではなく遊びでやってたらいつのまにかプロレベルになっちゃった自由な天才だからどこかの機関によって決められた競技の区別とか知らないからなんですよね。さすがセルカン。さすセル。さすカンにするか。

いまでもトルコでは、スキーをやっている若者はみんな、僕の名前を知っています。(p.26) 

いまでも「スキー選手のセルカン」と言われることがあるのは、ちょっと困りもの。僕にとってはスキーはもう終わったことです。確かにいい経験をしましたが、終わったら、「次のこと」へ向かっていくのが僕の人生の過ごし方なのですから。(p.29)

  ……じゃあなんで8ページとちょっとも割いて「終わったこと」について語ってるんでしょうか。タイトルが「アニリール・セルカン自伝~いかにして私は文武両道の天才となったか~」とかだったら全然いいですが、「ポケットの中の宇宙」ですよ。宇宙の話せえ!!(千鳥ノブ)

 ATA宇宙エレベーターをNASAのワークショップで発表する時まずNASAのアイデアを「これは夢物語ですよ」と批判してから並み居るトップクラスの研究者たちに素晴らしい自分のアイデアを披露しNASAの関係者に声をかけてもらいプロジェクトリーダーに就任した天才研究者、さすカン。

 スキーの時もそうでしたがどうもこの人は「その組織の中で純粋培養されるのではなくぷらっと外からやってきて既存のプレーヤーを批判し彼らを優に上回る成果を出してしまう型破りな天才」という設定が好きみたいですね。物語なら王道だけど現実ではどうかな。「セオリーにとらわれない自由な発想」という点では有利かもしれませんが、やっぱり門外漢は専門教育を受け日々そのテーマに向かって粉骨砕身しているプロには敵わないことの方が多いと思うんだけどな。「独学コンプレックス」みたいなものもある気がする。

 外からやってきた天才だから「NASAも空軍ですし、私もNASAにいたとき大佐まで上がって、実はNASAの科学者も全部軍人です」とか言っちゃうんですよね。NASAを規定した法律の中にはっきり「文民機関」って書かれてることも知らないんですよね。型破りですから。しかしまとめWikiのこの部分の「文民機関であるNASAに務めている間にどのように大佐まで上がったのかも疑問である」って文章意地が悪くて素敵。想像上のNASAに勤めてたからだろ言わせんな恥ずかしい。

 JAXAからの採用連絡を寝ぼけていたため「後でかけ直すから」と言って切って「採用の連絡のとき、あんなにクールだった人は、あなたが初めてです」と言われるセルカン。さすカンいただきました。

トルコの空軍長の推薦で、僕が宇宙飛行士の候補の一人に選ばれたというものでした。僕はなんと、民間のトルコ人では初の宇宙飛行士候補になったのです。(p.55)

 顔ハメ合成疑惑のある宇宙飛行士画像をはじめとしてこの辺りは合成、他人の写真の盗用、体験コーナーのシミュレーターを「訓練」と称するなどの疑惑が持たれている画像のオンパレードです。中でも「ドッキングの調整訓練」と称した写真はかなり笑えます。めちゃめちゃ私服。どう見ても休日に「宇宙飛行士体験をしてみよう!コーナー」でキャストに案内されながらシミュレーター体験してるおじさん。

 やっと第1章終わりました。長い。ツッコミどころが多すぎる。

第2章 宇宙のカタチ

 230ページ中65ページ目からやっと宇宙の話。しかし全体的にフワッとしていて第1章に比べるとあまり面白くはありません。あくまでも一般の人に対する導入といえば頷けるところはあるんですが。

 十一次元宇宙の話。

しかし、十次元から十一次元を理解していくことはできません。僕たちが生きている三次元からは、四次元世界をリアルに理解できないのと同じです。だから、十一次元を構想するには、宇宙のソトの世界を考えていく必要があります。これが僕の考える「十一次元宇宙論」です。「十一次元宇宙論」の「十一」というのは、「ただの数字」でしかありません。数学的に計算するとき、その結果が「十一」だったということに過ぎないのです。十では足りない、十二はいらない、だから「十一」です。(p.75)

 うん……ん?なんだかわかるようなわからないような……。十一次元宇宙の話もブラックホールの話も宇宙のカタチの話もみんなざっと最初のところだけ説明されてわかったようなわからないような状態のまま放置されて次の話題に行ってしまうので、よく知らない分野の本を読んだ時の「そういう世界があるのか!」みたいな体験ができません。

 「スピンオフ」の話は身近なものばかりでわかりやすかったけど、著者が著者だけに「本当なのか……?」「間違ってはないけど言いすぎとかではないんだよな……?」とかなり疑ってしまいました。いや本に書かれているからといって無批判に信じるのはよくないんですが普通の本は著者にもっと信頼があるので……。

 まだ2章しか終わってませんが長くなりすぎたので続きます。先が思いやられる。

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