Love For Sale

今日はこの曲からスタート!

この曲を知ったのは、彼が貸してくれたコンピレーションでした。
通常こうしたコンピは買わないのだけど、
単純に収録曲が良いので買ったとのこと。
ただしここに収録されたのはカバーで、
のちに私はこのNaked Songsというアルバムに興味を持って、
オリジナルに触れることになりました。

以来この曲が持つ特別なパワーはずっと気にかかっており、
約一年前に翻訳に挑戦しました。
この曲は鮮烈な出会いを歌っているため全体的に過去形で、
現在と未来が描かれた部分はわずかです。

So let's not fall so fast that we get crazy
Jolie will you think of me
And when your picture of me gets a little hazy
Jolie it's only you I see
Al Kooper “Jolie”


恋愛経験の乏しい私が語っても説得力に欠けますが、
この熱狂のゆくえに対する恐れと躊躇いはあまりにも見事で、
モデルの実在を私に直感させました。
そこで当時読み流していたライナーを読み返すと、ビンゴです。
お相手はクインシージョーンズの娘、ジョリー・ジョーンズ。
なるほどそれは確かに
“You may be young but you got so much more than any girl I know”
でしょう。
はっきり宛名の入ったラブレターではないですか!

このアルバムにはもう一通、宛名の刻まれた手紙があります。
ピーコック・レディ、アネット・ピーコック。
このアルバムには作曲者として名を連ねてますが、
“Heard her on the air and I did care to pay the fare to hear her sweet song”
と歌われるように、”ピーコック”は歌手だったのです。
この曲を「孔雀の淑女」と翻訳した中川五郎さんは、
個人的ではなく一般的な開かれた訳にしたのかもしれませんが、
もしかするとこのエピソードをご存じなかったために、
作者の意図をスポイルしてしまったのかもしれません。
私が所有するライナーの渡辺亨さんによる素晴らしい解説は、
このアルバムを聴くにあたって必ず読まれて欲しいものですが、
もし配信やサブスクリプションに軸足を移すのであれば、
音楽業界には是非この辺を考えていただきたいものです。
しかし作者の才能と人物像に深く切り込んだその解説にも、
アネットとの関係は登場しません。

背景に実話を持った音楽はたくさんあります。
それを知って聴くか知らずに聴くか、
あるいは今回の私みたいに感じる取るか…
知らずに感じるのが一番素敵だとは思うのですね。
そこに表現の魔法があるわけですから。
でも、作者の本当の意図を知らずに終わってしまうのは、
生身に迫れないことをリスナーとしてどこか寂しく感じます。
渾身の表現を、感性を研ぎ澄まして、全身で受け取める、
それが私の望む聴き方である以上、
知って打ちのめされるのもまた本望といえます。

ところで、仮にどんな重みの真実を託されていても、
音楽は工業製品としてコピーされ量産されて、
売られて買われていくのですね。
そのことに感じる、なんとも言えない複雑な思い。
もちろん、私がこんな風にこの曲を味わい、
作者の思いに触れようとすることができるのも、
工業製品としての音楽を買ったからです。
こんな私でも、この世界の怪物たちと闘った魂の欠片が
こうして何らかの形で後世へ継がれていくことによって、
つらい出来事を避けきれない人生のどこかで、
同士を癒してくれることもあると知っています。
音楽は、時に快楽装置として、あるいは心の灯火として、
必要とされ買われていくことで、エコシステムが成立している。
音楽もアーティストも、どうしたって商品の側面があります。
しかしアーティストは人間であり、作品はその人生から生まれます。
実はオリジナルを聴いて以降、カバーを聴かなくなりました。
私にとってこの曲には、どうしてもこの歌が必要だからです。
Naked Songsと銘打ったからには、
アル・クーパー自身にも裸を晒す覚悟があったのでしょう。
作品と深く触れ合うのに、その人生と無関係でいられるでしょうか?
ここは私の中で、ずっと堂々巡りなんですよね…。

ジョリーとの関係は曲の発表前に終わってしまったらしく、
それ以上に詳しいことはわかりませんでした。
終わってしまった関係を高らかに歌うこの曲の発表を、
名指しされた彼女はどのように受け止めたのでしょう?
そして本来これらの手紙を受け取るはずだった彼女たちは、
それが工業製品としてコピーされ量産されて売りに出され、
他人に買われ、こんな風に見つめられることを、
一体どう感じていたのでしょうか。
なぜ私だけに直接言ってくれなかったの?
なぜこんなに大切なものを他の人にも売ってしまうの?
そんな風に思ったことはなかったのでしょうか。
私のような部外者にはとてつもなく素敵で羨ましいことでも、
当事者間の感情は計り知れませんよね。
目の前にいる人への思いを、なぜ表現としてよそへ発信するのか…
コミュニケーションと表現の違いについて考えさせられます。

しかし彼女たちは音楽の現場にいた方々です。
音楽がどのようにして生まれ、どのように役割を果たすのか、
見聞きしたもの・体験したことから充分に理解していれば、
未熟な私情など口にせず、作品の行方を見届けるのでしょう。
過ぎ去ってしまえば跡形もなく消えたかのような幻の痕跡が、
より生身に近い音楽という形でその瞬間の声とともに残り、
それぞれの季節の感覚を奇跡のように呼び起こすたび、
相手がしてくれたことのたしかな温かさと誇りを感じて、
この曲が最も力強く歌い上げているフレーズのように、
生き様を晒していくことができるのではないでしょうか。
“Look at what you’ve done, baby!”