バンドバトン(L⇔R編)
【質問1】好きなメンバーを2人挙げて下さい。
どうしても2人となると、やはり黒沢兄弟でしょうか・・・。
【質問2】メンバーに一言どうぞ。
黒沢健一様:私の人生に一つの方向性を与えてくれました。素晴らしい音楽とエネルギーをありがとう。
黒沢秀樹様:あなたはL⇔Rの要、良心です。ファンとして全面的に信頼してます。これからも色々教えてください。
木下裕晴様:色々な意味で、あなたがいなければL⇔Rは無かった。このご恩は一生忘れません。
【質問3】思い入れのある曲を理由も含めて挙げて下さい。
■Rights & Dues -from "Laugh+Rough"
万華鏡のようなサウンドは歌詞とともにひたむきな内省を繰り返し、完成されたメロディが鮮やかに駆け抜ける。時折制御を外れるベースラインも初期L⇔Rらしい仕掛け。彼らの武器である無邪気な音楽愛が空気感の歪みとなって息づいている。アルバムのリーフレットにちりばめられたポートレイトそのままに、スタジオバンドL⇔Rの個性を強く印象づけられた作品。
■(I Wanna) Be With You -from "Laugh+Rough"
L⇔Rは様々な二面性を抱えているが、その特性は、Lefty in the Rightという正式名称によって初めから暗示されていた。中でも私が最も目を引かれるのは、”マイノリティ・スピリットでポピュラリティを奏でる危うさ”である。安定と不安定が交錯するこの曲では、そうした自己矛盾の熱気が聞き込むほどに際立ち、ポップこそもう一つのロックだと誇らしげに主張しているかのようだ。少しバラけたコーラスとキラキラ感が印象的なピアノに優しく呼応するギター、古風で流麗なストリングス、逆行するベースライン、力強いドラムス・・・緊張感漲るサウンドも絶妙。一番好きなアルバムLaugh+Roughの最後を飾り、後に訪れた静寂にもしばらく気づかぬほどの余韻を残してくれる。
■7 Voice -from "Lefty in the Right"
仄暗い冷気の向こうにゆらめく青白い炎のようなシュールな美しさ。1stアルバムの冒頭、はじけるようなポップチューン"Lazy Girl"に唖然としたまま聴かされたこの曲は、展開と手触りのユニークさによって、私の中でL⇔RをOne&Onlyな存在にしてしまった。
■Tumbling Down -from Lost Rarities
初々しいギターの音色と華やかなコーラスにつられて、全てを祝福したくなるHAPPYな曲。この曲を聴いている間は、この世に怖いものなど無くなってしまう。ほとばしる肯定のエネルギーはポップミュージックの真骨頂。
■U-EN-CHI -from "Land of Richies"
淡くメランコリックなメロディ、甘いギターにうねるベース、そして寄せては返す繊細なコーラスに彩られたノスタルジックで愛らしい遊園地サウンド。そこにはメンバー4人の魅力がぎゅっと詰め込まれている。お天気雨が降る遊園地の彷徨は儚くも美しい夢を見ているようで、WitsL⇔Rの世界へ招かれた自分自身の心象と見事に重なる。また、移籍を控えたこのアルバムで、Wits制作チームは改めて音楽への思いを確かめあったに違いない。そこで産み出された惜別の曲が、「夢のドアをあけよう」と呟いてあっという間にフェードアウトするとは、なんとも彼ららしい粋な幕のおろし方である。
■Knockin' on Your Door -from "Let me Roll it!"
移籍そのものよりもこの曲の大ヒットこそがL⇔Rのスタンスを揺らがせ、活動休止に至るターニングポイントになったと考える人は多いように思うが、そんな意見を目にする度に思い浮かぶ避けがたい疑問、つまり「大衆に愛される音楽」と「消費される音楽」にどのような違いがあるのか、という難問について言及するのは勇気が要る。Nice To Meet Youの頃に語られた「消費されることへの不満」は当時の私にダイレクトに響いてきたものだったが、一般論として語るとなると、日頃ぼんやり生きている私には複雑すぎて、結論が出ないかもしれない。それでも、どこへ向かうのかもわからない文章になることを覚悟の上で、10年間心に積み残していたことをこの機会に紐解いてみようと思う。
あくまで一般論ではあるが、万人向けを意図して作られたものが、結局誰かの心を強力につかみきれないケースは、何も音楽に限った話ではない。物作りをする人なら誰もが恐れる落とし穴である。しかしそういったマーケティングの話をするのであれば、音楽はもっと、作品とは別次元でのナイーブな問題をはらんでいるように思う。というのも、メディアを通して四六時中聴かされる音楽は生活と密着してさまざまな現実をまきこみ、内気で夢見がちな音楽ファンが特別な思い入れを持つことを難しくしてしまうように思うのだ。それどころか場合によっては、ビジネス臭に嫌悪感を覚える危険性すらあるかもしれない。
L⇔Rの場合、移籍前後の音作りやアートワーク・プロモーションは確かに変化している。では移籍後のL⇔Rが、移籍前とは一転して一時的なセールスや売名のために積極的に制作スタンスを変えたかというと、私はそうは思わない。親しみやすさは元来L⇔Rに備わっていた要素であり、そこに重ねられた(移籍前よりも)シンプルな音作りも、インタビューを読む限り、音楽的好奇心による試みの1つがたまたま移籍時期と重なっただけのようだ。しかしその方向性と周囲の思惑とが刺激しあった結果、トータルイメージとして通俗性が増幅されてしまったかもしれないし、やがて押し寄せた枚数への性急な期待と異様な忙しさが彼らの音楽に何も作用しなかったとも考えにくい。
我が身を振り返ってみても、仕事に振り回されてヘトヘトな時期は、日々の生活が衣食住レベルまでぞんざいになるものだ。心の贅沢品である音楽に至っては、愛するどころか聴く元気すらないこともしばしば。プレッシャーと時間の支配から解放され、何もかも忘れてただ眠っていることが唯一の幸せ。・・・何もないところから人の心を打つ何かを作り上げるには、それに見合う時間と、ある種の爆発的なエネルギーを要するというのに・・・。めまぐるしいビジネスシーンの変化の中では、そんな当然の理屈ですら、気軽な制作手法の改革論や精神論にすり替えられて、ちっとも通らない。焦りと様々な感覚の麻痺に飲み込まれたまま消耗する日々を通過し、落ち着いて状況が振り返られるようになってから、やっとその時自分に起こっていたことを自覚するという有様である。
業種の異なる自分の経験が当時の彼らにどれだけ当てはまるか分からないが、事実L⇔Rの音楽も、子供のように無邪気で偏執的な音楽愛が紡ぎ出すあの濃密で歪んだ空気感といたずら心溢れる仕掛けの数々は、幾重にも丁寧に塗り重ねられた音と声のカラフルな世界は、移籍後徐々に影を潜めてしまったように感じる。しかしそれは、音楽のほんの一面に着目した比較論でしかなく、何かの因果関係を証明する要素にはなりえない。その上、移籍後の作品にはそれまでとは違う魅力も沢山あり、そして私はやっぱり、どちらの作風にも無条件降伏なのである。
・・・このままでは本当に結論が出ない。もう一度一般論を持ち出すが、少なくとも純粋に音楽的な見地でいえば、親しみやすさと音楽の価値は別次元の話だろう。「自分は皆と同じではない特別な感性の持ち主でありたい」という自己愛が時として人を惑わせるのだとしても、「ヒット曲=量産向けの粗悪品」という短絡的な図式には、やはり多くの音楽ファンが異を唱える筈だ。往年のヒット曲の評価が時代とともに変化するさまを見てきた人は尚更だろう。今や音楽は、作品以外の力に頼る部分も多い複雑なビジネスと化し、対する人の心は、相変わらず、案外簡単に騙されるものでもあり、案外敏感に何かを感じ取るものでもあるのだから、私にはもうお手上げである。
考えてみれば音楽作品の評価とは、この矛盾の隙間から沸き起こるごく個人的な悲喜劇の、きわめて不安定な集合体なのかもしれない。であるならば、私も、自分自身に起こった個人的な喜劇に遡ってみようと思う。
---私は小さい頃から音楽に身を任せるのが好きだった。ところが日本の男性グループの音楽は、どうもあまり積極的に聴かなかった。疑似恋愛的な感情に左右される可能性を心のどこかで警戒していたのかもしれない。そのくせ、そうやって変にストイックで臆病な自分を負担にも感じていた。
そんなときにこの曲は、ある日突然TVを通して私の耳に飛び込んできた。その音はまるで、「こっちへおいでよ、気楽にいこうよ」と誘いかけてくるかのようだった。ひとたび向かい合ったら、つまらない警戒心など軽々と飛び越えてしまう、無邪気な笑顔の音楽だった。しかし同時にその笑顔には、人の心に深入りしない礼儀正しさと思慮深さがあり、心の奥に渦巻く寂しさ、もどかしさ、憤りをそのまま投げつけようとはしない二重構造の絶妙な匙加減がすっかり私の心を捉えてしまった。つまり非常に幸運なことに、このとき私を突き動かしたのは、まぎれもなく音楽の力そのものだったのだ。「異常な明るさ」「悲痛な軽やかさ」とは、私の大好きな作家・尾崎翠に向けられた言葉だが、L⇔Rにも少しあてはまるといったら無理があるだろうか。
当時L⇔Rが沢山の人に認知されても、それほどには音楽性を尊重されていないように思えて、そのアンバランスについて納得することはできたけれど、なんとももどかしかった。この時期のL⇔Rは、特にシングル曲において、世間から浮いている自分をユーモアで受け止め、あえて他愛もなく歌う傾向が感じられるが、少なくとも黒沢健一という人は、こういうスタイルでマジョリティに対峙する(あるいは"はぐらかす")つもりかもしれないと思っていた。先述の「深入りしない」要因の一つは、おそらく、他愛のなさが曲と聴き手の間に常に一定の距離感を保つということだ。この「埋まらぬ距離感」も移籍前からあるにはあったが、この時期はちょっと特殊な気がする。親しみやすく人を引き寄せながらも、その実、巧妙に相手をかわし、すり抜けてしまう近寄りがたさが、音にも詞にも感じられる。そんな繊細な他愛のなさや軽やかさは、無意識ゆえにあまりにも巧妙すぎて、慌ただしい世間には無難な流行歌として受け流されたような気もするし、もしそうなら、それも無理からぬ世相かもしれない、とも思う。
だがこの傾向は、後にDoubtに向けて大幅に軌道修正されることになる。遠い傍観者の私は肯定も否定もなく、ただその変化に、胸がチクリと痛んだ。「いくつになっても何にも縛られたくない」「自分を決めつけたくない」という彼の発言を思い出し、それを貫けるよう知らず知らず祈っていた。
話を戻すと、この曲でL⇔Rを知った私は、その後過去の作品を一気に聞きながら、数多くの雑誌で彼らの考え方に触れた。そして、自分があの音楽から意外に沢山のことを感じ取っていたことに気づいた。聴けば聴くほど、読めば読むほど、彼らが自分の仲間に思えて仕方なかった。まさに"THE"を付けたくなるほどの典型的な思いこみに、今となっては苦笑い・・・。けれどこうした「共感」「共鳴」は、いつの時代も芸術文化の根幹でもある。「音は人也」とまでは言えないけれど、音楽が人の心を結ぶ表現の一つである以上、作者や演奏者の内面との関係を否定することはできないのだ。
ここに至ってようやく私も、音楽を愛することは作者への一方的な慕情を包含しているということを自然に受け止められた。相手が故人だろうが同性だろうが異性だろうが、同じことだったのだ。L⇔Rの音楽は私にとって大切な宝物で、L⇔Rという人たちも私にとってかけがえのない存在となった。一方的に識っているだけの遠い存在が作品を通して自分の中に切り込んでくるのを自分でも止められず、やがては身近な存在と感じてしまう錯覚の罪悪感を拭えぬまま、その幸せを手放すことも、ついぞ出来なかった。
だからこそ、仮にこの曲が多くの人を楽しませることを意識して作られ、売られ、また彼らは休む間もなく慣れないプロモーションを行わなければならなかったのだとしても、そのことが彼らの音楽やその後に大きく影響しているように感じていても、結果として私に与えられた、ごくありふれたこの出会いには、今でも本当に感謝している。そんな私が、この曲の背景で起こったらしき一連の出来事を責めることなど、できそうにない。そして願わくば彼らも、この時期の経験から何か大切なことを掴んでいれば嬉しい、とすら思う。
ただやはり、彼らの迷う姿を遠くから見ていた人間としては、日々願わずにいられない。音楽に携わる全ての人たちは、聴き手である我々も含めて、音楽の本質を理解した上で文化として大切に育てていきたいものだ、と。特にミュージシャンをサポートする業界の方々には、目先の成功へ向けたビジネス活動が長期的には何をもたらすかを考え、今何をすべきかを考え、そして自分たちの担っている物の大きさを常に忘れず、誇りに思っていて欲しい、と。
わずか5分足らずの小さな世界に潜む何かが、一人の人間に一生ぶんの希望を与えることだってあるのだから。
【質問4】気になっている(よく聞いている)バンドを挙げて下さい
The Beach Boys、The Byrds、The Beatles、XTC、Rockpile、
The Shaggs、NRBQ、The Coctails、少年ナイフ、シュガーベイブ etc.