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私は、鉄道ファンである。


 鉄道ファンは、その人生の中で多くの別れに立ち会う。

 それは路線の廃止であったり、車両の廃止であったり、駅の廃止や改築、無人化、場合によっては新線開業による状況の変化と様々である。

 自分が乗ったことのある路線が廃止されるのは何度も味わってきた。乗車時の光景に思い出があるのは勿論だが、当時の自らを思い出すだけでも十分すぎるほどのノスタルジーだ。

 例えば岡山の下津井電鉄。762mmのナローゲージと、Ωカーブと呼ばれる急角度の曲がり具合で車両が大きく軋み、喘ぐ様な音を立てながら鷲羽山の麓の海沿いを疾走した姿は忘れられない。

 岡山だともう一つ、岡山臨港鉄道。今は高架駅となった大元駅から岡山港に向けて、かつて江若鉄道で使われていた気動車がのんびりと走っていた。

 数年前に路線跡を歩いてみたが、子供の頃の自分の姿を思い出させるには十分すぎるものだった。

 大糸線で見た、JR最後のキハ20系も忘れられない思い出である。戦前に設計されたとは思えないほどパワフルなエンジンが奏でる排気音と、姫川沿いに広がるスペクタクルはまさに「鉄道風景の白眉」と言うにふさわしかった。

 それだけに、鉄道旅行の思い出を余計な事で汚してほしくない。

 個人的には「わざわざ廃止日(最終日)に行く」感性が理解できないのは事実で、だったら何故その前に行かないのか、と常に考えている。

 だが当然のことながら、中にはしんみりと最後の別れをしたいと思っている人もいる。葬式で大騒ぎするのは明らかなマナー違反であり、たとえ自分がその列車や路線の写真を撮りたいと思っていても、そこは心をぐっと抑えて「大人のファン」として接してほしい。

 写真に人が写りこんでもいいじゃないか。それはそれで、その鉄道が「人間の間で生きていた」一つの証なのだから。


「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。