見出し画像

風よ、相馬へ ~相馬野馬追2014~ (前)

※このnoteは投げ銭形式となっております。最後まで無料でお読み頂けます。

今にして思えば、それは後悔から始まっていたのかもしれない。

2011年3月10日までは、東京から南相馬へ行くのは全く難しい話ではなかった。なにせ上野駅から特急に乗れば乗り換えなしで到着するのである。

元々競馬が好きな私、競走馬上がりの馬が多く相馬野馬追に参加していることもあり、一度は生で見たい祭りだった。

よって2010年は祭りに合わせて会社の休みも取り、準備は万端であった――だが当日寝坊して乗らないといけない特急に乗れなくなったため、その年は予定をキャンセルしたのだった。

2011年3月11日、相馬野馬追いが行われる旧相馬藩(中村藩)地域を含め、東北から関東にかけての太平洋沿岸に壊滅的被害を及ぼした東日本大震災、ならびに東京電力福島第一原発事故。その日以来東京から南相馬へ列車で直接行く道は、今後数十年失われてしまった。

※写真は2009年の大船渡線鹿折唐桑駅。後に津波で壊滅的被害を受けました。

「どうして自分は、くだらない理由でせっかく見に行こうと思った祭りをキャンセルしたのだろう」

猛烈な後悔の中、相馬野馬追いが再び行われたならば、何があっても絶対に行く。私はそう心に誓った。なお福島競馬場が再開した暁には絶対に第1レースに駆け付けることも誓った。


子供が公園で遊ぶだけでも、こんな張り紙が必要な場所になってしまった南相馬市。だが先日のレポートでも書いたように、彼らに負けない魂が有る限り、私は相馬野馬追に賛同し続けたいと思っています。


さて、2014年の野馬追についてのレポートです。

今回の野馬追はここ数年で最大の出場騎馬数。場所によっては(浪江町など)は参加者が未だに自宅に帰還できず、避難先から野馬追に出場しているとはいえ、一応は以前同様のスケールに戻って来たと言えるでしょう。

相馬中村藩の藩領は中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷と分かれていますが、野馬追に参加する騎馬達はそれぞれの地域の神社から地元の代表として集まってくるのです。

なお中ノ郷が相馬太田神社、小高郷と標葉郷が相馬小高神社、北郷と宇多郷が相馬中村神社となります。ちなみに日曜日最初のイベントとなる「御行列」は、この神社ごとに詳細な名簿が作成されており、市役所などでもらうことが出来ます。


今回の御行列(騎馬武者行列)のスタート地点は、南相馬市役所近くにある市の施設、サンライフ相馬。普通ならば職員の車で埋まっているはずの駐車場は、見渡す限りの馬、馬、馬!

まだ朝の9時だというのに気温は既に30度を超えている中、彼らは自慢の甲冑姿でこの場所へやってきました。

鎧や兜の意匠は人により、家により様々。金を使って絢爛豪華に飾り立てたものもあれば、中には先祖代々受け継いできた歴史が刻み込まれ、黒い輝きを放つまでになった逸品もあります。

相馬野馬追は地元にとって「特別なイベント」ではありません。参加するのは地元に住む人間であり、決してよそから馬に乗るプロを集めたりしません。だからこんな感じで、普通の民家の軒先で騎馬武者が支度をする光景も普通です。

かつては馬も自宅で繋養していたと言うことですが、残念ながら最近はそうもいかないため、馬は各地の乗馬クラブから集めるようになっているのが実情。それでも家族総出で祭りのための準備をする習慣は、今も生きています。

今や参加する馬もサラブレッドが主流を占めるようになりました。競走馬を引退して乗馬になった馬は気性が荒いことが多いので、そのせいか騎馬武者行列の最中に興奮する馬も目立ちます。

行列の前には、南相馬市役所にて今回の執行委員長(南相馬市長・桜井勝延氏)が関係者へと挨拶を行います。その際「本日は暑くなることが予想されるため、観覧の皆様におかれましても十分ご自愛頂きたい」と述べた辺りがいかにも現代的、でしょうか。

朝9時半の合図と共に、各地域の代表たちが思い思いの甲冑を身に、いよいよ決戦の地、雲雀ヶ原祭場地を目指します。

行列を開始してしばらくすると、相馬藩の総大将が陣取る場所があります。各地域の代表はここで立ち止まり、高らかに宣言をしていくルールです。

「これより○○郷、雲雀ヶ原祭場を目指して進軍を開始致します! 総大将におかれましても、一刻も早く参上されますよう、お待ち申しております!(口上は人により違います)」

なお総大将の前は、一般観光客が横切ることは禁止されています。当然ですね、時代が時代なら斬首ものです――私も実は気が付かずに大将の席の前を通りかけて、鎧武者の方(係員も兼任)に戻されました。ごめんなさい。

そうした狼藉をすると、このような厳しい顔の武士(もののふ)によって叱責されますので、くれぐれもご注意ください。

なお一部の地域の騎馬武者の行進が遅れてしまった時、彼が大声で一喝していました。

「早く馬を進めろ! どれだけ間隔を広げているんだ! 早くしろ!」

祭りであっても武士は武士。決して優しい言葉など使いませんが、これがこの祭りが伝統的たる所以。こうした言葉遣いも楽しめるのです。

なお騎馬武者は荒々しい男だけではありません。長年参加しているご高齢の功労者の方もいらっしゃいます。

先程市役所でも挨拶をしていましたが、大震災の時、Youtubeを通じて南相馬市の状況を世界に発信し続けた桜井市長も今回の行列に参加。観客からの喝采が飛んでいました。

子供武者も多く参加。中には祖父・息子・孫の親子三代にわたって全員参加している一家もあります。

そして今回大きな拍手が飛んでいたのが、原発事故で家を失い避難生活を送っていた祖父が亡くなり、その遺志を継いで野馬追いに参加することを決めた一人の少女でした。(下記記事参照)

「じいちゃん、野馬追継ぐよ」

原発事故で被災した家族の夢。祖父と一緒に出ることは叶わなかったものの、こうして見事に騎馬武者行列に参加できたことは彼女にとって大きな財産になったことでしょう。

伝統の祭りというものは、一朝一夕にできるものではありません。祭りを脈々と受け継ごうとする人がいて、祭りのために一年を費やす人がいて、そして家族、地域の共通文化レベルで浸透させてきた人々が昔から存在した、これが一番大切なことだと思います。

そして各地域の行列が終了すると、いよいよ総大将が出立の時です。

普段はガソリンスタンドとして使っている場所に馬が繋がれているのもまたシュールな光景ですが、今日はここが相馬藩総大将の陣地。

法螺貝の音が厳粛に鳴り響くや、いよいよ総大将が御自ら乗馬。ここまでの流れが毎年滞りなく進められていくのです。

相馬の人々は、この祭りのために日々乗馬の訓練を欠かさないと言います。市長クラスも馬に乗れて当たり前、総大将ともなれば

「例え総理大臣が総大将に名乗りを上げても、馬にも乗れぬ男など絶対に大将にはさせぬ!」

と地元の人々が豪語するほどの英雄的存在なのです。

ここまでの騎馬武者行列で、およそ一時間。あまりに濃厚な時間に思わず私の息は切れ、汗はとめどなく流れ、スポーツドリンクを2本飲み干してしまうほどでした。

次はいよいよ祭場、雲雀ヶ原へ舞台を移します。(続く)

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。