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一部の人に理解されるカレー 後編

※前編:https://note.mu/maybe_moonlight/n/n563adb809da6

 ~客に良し悪しなどない。問題なのは常に店の良し悪しだ~

 『それでも街は廻っている』の書き出しにもある通り、食べ物屋における重要点は「いかに客を満足させるか」にある。

 店に一歩足を踏み入れた感想は「意外にまとも」だった。他の客がいた手前内装写真を撮っていなかったので、食べログのページでごまかします。http://tabelog.com/kanagawa/A1402/A140211/14011272/dtlphotolst/3/

 だがここで「さて何を食べるか」を考えていた我々に衝撃が走る。いきなり目の前にドンと置かれたこの謎野菜。果たしてこれは一体?!

 注文していないのに出てきたメニュー。これはまさか、昨今居酒屋を震撼せしめている、お通し問題って奴か?! 野菜はカレーに入りますか?!

 一口かじってみる。我々の脳裏に、懐かしい景色がセピア色の絵の具で描き出されていく。

 あれは暑くなりかけた初夏のことだった――小学校の給食時間、狭い机上にドンと鎮座する「中華風サラダ」。春雨とワカメを味付ける、キュウリ味が染み出したごま油の味。カレーのおかわりをしたいのに、先生から「全部食べないとおかわり禁止」と言われたばかりに、涙を流しつつカレーまみれにしたサラダを流し込んだ日々。だがカレーを失って残されたご飯の処理に困り、目の前にあった牛乳を手に取り、最終手段「牛丼」として片付けた忌まわしい記憶。

 先生! このサラダを食べないとカレー食べちゃいけないんですか!

 サラダは酸っぱい涙の味がした。でも僕は大人だから、大嫌いなキュウリ以外は極力食べた。古びてしまった肉体は、確実に酢と野菜を求めるようになっていた。

 そんな感傷に浸る二人の前に置かれたのは、まごうことなきカレー!

 一体何のカレーだ。だがそれ以前に

「俺達はカレーなんぞ注文しちゃいねェーッ!!」

 ……実は最初から二人とも知っていたのだが、この店「メニューはカレーセット(1000円)しかないので注文の必要はない」のである。

 しかし不思議な外見のカレーである。外の看板にはこうあった。

『パキスタン1000年の英知! みんな大好きビックリチキンカレー!』

『調味料は塩のみッ! 水など使用しておらぬッ!』

 マジですか。パキスタン1000年ですか。米がインディカ米でもタイ米でもなくジャポニカ米に見えるのは「我々パキスタンはヒンドゥー教にも仏教にも属さない以上彼らの米など使わぬ」という矜持なのですかッ!

 それはさておき、一口二口。

 美味い。

 リア充アングルからもう一枚。(ちなみに目の前にいるのは男だ)

 骨付きの鶏モモ肉をスパイスでじっくり煮込んでいる。水分はおそらく鶏肉から出るものだけだから味が薄まっておらず、鶏肉の味をスパイスが引き立て強化している。肉の繊維一本一本に絡みついた旨味は、まさに味と香りのタペストリーである。すまん某グルメマンガから表現パクった。

 連れて来た同僚も「美味いっすねこれ! 怪しい店と思っていたけどとんでもないっすね!」と絶賛である。ちなみにMy格言には「人におごってもらった料理こそが至高の美味」というのがある。金を払うのは私だ。

 食後はマサラティーで締め。これまた美味。味は濃厚甘みも濃厚、それに加えて茶葉とクローブ系スパイスの香りが濃厚。

 カレーとコーヒーが絶望的に合わないことは熟知しているが、紅茶とは抜群に合う。これもやはり紅茶にまでスパイスをぶち込んでしまったパキスタンの知恵の賜物なのだろう。きっといつかコーヒーにもスパイスを入れる猛者が現れ、彼はコーヒー界の偉人と呼ばれるに違いない。主にカレー屋で。

 という訳で、我々は「最も価値のある1000円の使い道(byクレイジーケンバンド)」を実践してきたのであった。なおここに来るまでに、もう一人の同僚――22歳にして趣味がキャバクラ通いという男――が「行かないっすよ、怖いから」とチキン発言をしていたことを付け加えたい。

 お店の場所は「サリサリカリー」で検索!



 


「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。