無題

ポッポリは海を越えて

 1994年5月1日、イタリアの空にはポッポリと呼ばれる白い綿毛が飛び交っていた。日本で言うタンポポのようなそれは、2月から5月にかけてイタリアの空を舞い、自らの種を散らすのである。

 1994年5月1日、イタリアの都市ボローニャの病院に、女医の空しい声が響いていた。

「no speranza(希望はない)」

 通算3度のワールドチャンピオンに輝いたF1の英雄、アイルトン・セナの脳が機能停止したとの発表の後、希望はないのかと問い詰めた記者に放った冷たく、そして悲しい声だった。

 Windows95もない時代、インターネットなどはごく一部の趣味人の遊びに過ぎなかった。我々F1ファンは、テレビから流れる情報だけが頼りだった。

 テレビではレース序盤、左回りのコーナーを曲がりきることなく、外側のコンクリート壁に向けて300km/hで激突するセナの姿が、何度も映されていた。

 本来のサンマリノGPの放送スケジュールは大幅に狂い、レース映像の合間合間にも大クラッシュしたセナの容態が流れ続けた。

「F1ドライバーのアイルトン・セナ選手は、収容先の病院で死亡しました」

 そして画面に流れた「FNNニュース速報」の文字に、背筋が凍りついた。

 1993年の鈴鹿で行われた日本GPで優勝したセナ。ブラジル国旗をイメージした黄色と緑のヘルメットに日の丸を貼って走ったこともある、日本を、そしてホンダエンジンの本拠地鈴鹿サーキットをこよなく愛した男。

 そんな彼は「ポールポジションから先頭を走ったまま」、珍しい左回りのサーキットであるイモラサーキット(イタリア)のタンブレロコーナーの露と消えたのだった。


 1994年。北海道日高にある稲原牧場で、美しい栗毛の馬が誕生していた。

 父サンデーサイレンス、母ワキア。後にサイレンススズカと名付けられ、宝塚記念を制した名馬である。

 私がこの馬を初めて見たのはデビュー2戦目、1997年の弥生賞であった。パドック(下見所)で見せた、後脚が前脚にぶつかりそうな程に柔軟な足捌きは「これは今年のダービー馬だろう」と思わせるに十分なものがあった。

 だがサイレンススズカが本領を発揮し始めるのはデビューして2年目、1998年のことである。この年はバレンタインSから破竹の4連勝で宝塚記念を制し、秋の緒戦毎日王冠も先頭で駆け抜けた。

 この馬の特徴は、柔軟な体つきから生まれる天性のスピードを生かした「逃げ」戦法にある。どこまでも飛ばしていき、最後までスピードを緩めない。逃げてもバテるどころか、最後は逆に相手を突き放す。

 誰よりも速く先頭に立ち、そのままゴールする姿。馬主の選んだ勝負服は、奇しくもブラジル国旗と同じ「黄色と緑」。そしてセナの愛したサーキット「鈴鹿」を自らの名に持つという偶然。

 彼の姿は、天国の故アイルトン・セナの生き写しとすら思わせる。私にはそう思えた。

 1998年11月1日。セナの死からちょうど4年半が経過したその日。当時日本では2つしかなかった「左回りの」東京競馬場で行なわれた天皇賞(秋)。

 逃げ馬には絶好の1枠1番。F1で1番と言えば「前年のワールドチャンピオンがつける番号」である。セナも過去3度この番号を付けて走っている。

 相手も既に勝負付けのついたメンバーばかり、今後予定される海外遠征に向け、このレースは壮行会としか思えないものであった。

 4コーナーまで快調に飛ばし続けるサイレンススズカ。全くペースを落とすこともなく、最終コーナーへ向けて脚を踏み入れていく。

 ――セナが最期に見た景色が、その馬の進む軌跡と重なった一瞬。

 左回りのコーナーを曲がりきることなく、突如外側に向けてケンケンするような動きになり、一斉に通過していく後続馬に交わされ、そして止まった。

 左前脚手根骨粉砕骨折。脚の細いサラブレッドにとって、それは死を意味するものだった。

 私はその時東京競馬場の指定席で観戦していたが、周囲のファンの茫然とした顔、そして号泣する女性ファンの姿がそこにあった。

 だが私は、一人こう思っていた。

 ――ああ、セナと同じだ、と。

 栄光のカーナンバー1を着け、黄色と緑の勝負服が左回りのコーナーを曲がりきれずに消えた。それも先頭を走ったまま。

 1994年5月1日。

 手にしたレーシングプログラムには、サイレンススズカの誕生日がそのように記されていた。

 あの日イモラを舞っていたポッポリは、ふらりふらりとユーラシア大陸を越え、4年かけて日本にたどり着いたのかもしれない。純白の綿毛に、志半ばで散った音速の貴公子の魂を乗せて。



「競馬最強の法則」にて血統理論記事を短期連載しておりました。血統の世界は日々世代を変えてゆくものだけに、常に新しい視点で旧来のやり方にとらわれない発想をお伝えしたいと思います。