ベテ中/文化人
文字に溺れるように読んだ。
私はnoteを自分の脳内整理のために使っているので、読者が読みやすくするための工夫を少々怠っている自覚がある。
この文章はかくも主観的なのに共感するのは何故なのだろう。
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アルゴリズムに乗せられたままYouTubeでもベテランちのコンテンツを見た。
noteに圧倒されたことに加え、格好良い友達がこのサムネに映るのと同じアルバムを推していたので、彼の趣味にも興味が湧いた。
そもそも、自分は何者かを知るという文脈において、未編集でひたすら語る自分を収めた動画は、私がnoteで書く文章の上位互換だと思った。ありのままの姿すぎて私なら恥ずかしくて死んでしまう。そんなことを続けているのは狂気とすら感じる。凄い。
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文化人として生きていくことを覚悟したのでこの動画を録ろうと思った、と冒頭で言及してから曲紹介に入っていくのだが、この「文化人」という言葉が引っ掛かった。便利な括りだと思った。私は文化人なのかなあ
最後の曲の紹介では、ビートの高低差に一人で家でテンションが上がって元気を出していた、と言っていたが、これは最高だと思った。印象に残っている。
音楽って本来そういうものだし、楽曲制作者も嬉しいだろうなと思った。
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結局再生中に寝てしまい(そもそも寝落ちラジオ的な感覚でベッドに入りながら見た)、動画そのものはほとんど見ていないのだが、起床後同じプレイリストを作成して、彼が聴いていたのと同じ音楽を聴きながら小一時間散歩をした。
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全曲を通して、音楽で感情の昂りを実感していた中学生の頃を思い出した。あの頃の生活の手触りを感じた。歩きながらアニメのオープニングを撮影されている気分になったりEDMのビートと一体化したりしていた。
クリエイター側も選曲したベテランちもツイッターをめちゃくちゃ見てた時期を通ってきたんだろうなと何故か思った。ここではツイッターに日本のオタクっぽい情報過多社会の文脈を込めている。
総じて、自分が中学生の頃にかっこいいと思っていたものの大人バージョンみたいなプレイリストで好きだった。
彼と同じ音楽を聴きながら彼のnoteの文章内容を思い出し、恋愛している気分になった。でも、こういう方法で他人のことを考える時間が好きだと思った。こうやって人と繋がりたいと思った。
音楽に限らず芸術一般、どういうところで魅力に感じたのかを知ると、その人の人となりが見えると思う。
良い散歩だった。
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