仮面の力(9) 7 仮面・顔
7 仮面・顔
吉田憲司はこう言っている。(*23) 世界の仮面のある大部分の社会で、仮面は「顔」をさすのと同じ意味でよばれている。「仮の顔」、架空の顔、ではない。祭や儀礼で、仮面をかぶって登場する踊り手を、死者や精霊としてもてなす。仮面の背後に、見知った特定の個人がいることに気付いてはいるが、しかしその個人の仮の姿として迎えるわけではない。だからこそ、人びとと踊り手との交歓は、死者や精霊をまつる場となり、死者や精霊のための儀礼となり得るのである。このとき、仮面はもはや踊り手の「仮の顔」ではなくなり、死者の顔、精霊の顔になる。
仮面が例えば呪具として防護、除祓として用いられるとき、自己のアイデンティティを保護するために使われる。(*24) この場合仮面は鬼・悪霊などの外部から自己を防御する聖なる盾としての役割をはたすのである。それは自己のアイデンティティの「純粋」を守ることを目的にしている。これは自己認識も目的にしている。けれども仮面をつけ、扮装し、違う性質のものになるときは、仮面は自己のアイデンティティから脱出するために使われる。つまり、仮面によって変身することになるわけである。仮面が顔を全身体化するのは、仮面の「四つの働き」のところでも書いたが、人間では顔が身体の単なる一部分ではなく、それ自身がその人の人全体を代表している。(*25) だから、顔はその人の人柄をあらわすと言われている。しかし、そういう特権的な部分であることによって、かえって身体の他の部分の表現を妨げやすくなってしまう。そこで仮面が素顔をおおい隠すことによって、人間の意識を解放しつつ、身体の他の部分の自由な表現を助ける。今までは顔によって気付かなかった「全身」の存在に気付く。体全体から発せられる存在感・意志といったものは、顔や表情のような具体性をもたない。だから見て受け取る側にとっても、知的判断とは違う体感的なものを感じる。そしてそれは、ある種、衝撃的なものである。仮面が顔を全身体化するというのは、そのような意味においてである。
これはまた、仮面の個性が、つけた者を誘導し、仮面が肉体を持つことにもなる。狂言師の野村万之丞は、各国の色々な仮面をつけてみる試みのなかで、仮面をつけると、ポーズを取っているわけではなく、仮面と造形が身体の動きを規定し、自然とこうなってしまう、と言っている。(*26) 仮面の動きと動作が全く関係していないと、仮面が浮いてしまう。仮面はつけた人と一体になれないと、まるで拒否するように振る舞うという。仮面をつけた時の仮面とつけた人が一体、つまり仮面が肉体を得て、つけた人ではなく見える時、動きは演技ではなくなる。こうした場合、仮面をつけた者は仮面が担う「主体」を積極的に演じようとするのであり、アイデンティティの二重性を生きようとする。自己の外化と他者の化身を同時に成立させようとする。自分でもあり他人でもある瞬間を生きようとするのだ。この人間の二重性を意識することを通じて、世界認識へ到達しようとする。(*27) 仮面の役割は、儀式における仮面にも大切な機能だといえるが、また非常に演劇的な仮面の使われ方であるともいえる。仮面の儀礼機能のうちには、二つの局面、アイデンティティを防御するか、もしくはそれを危機に陥れるかすることによって、自己と世界を操作的に認識させようとすることがわかった。(*28)
次は、仮面を使う演劇について考えてみたいと思う。
*23 吉田憲司 「現代に生きる仮面ー変身するヒーローたちの系譜」『仮 面−そのパワーとメッセージ』 里山出版 2002年
*24 山折哲雄 『霊と肉』 講談社学術文庫 1998年
*25 中村雄二郎 「通過儀礼」『述語集ー気になる言葉ー』
岩波新書 1984年
*26 野村万之丞 『心を映す仮面たちの世界』 檜書店 1996年
*27 山折哲雄 『霊と肉』 講談社学術文庫 1998年
*28 註27に同じ
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