仮面の力(10) 8 仮面と儀礼と芸能
8 仮面と儀礼と芸能
今までみてきたように、本来仮面は儀礼と切り離せないものである。儀礼での仮面は、誕生→受苦→死→復活を包括し、宇宙の循環を象徴し、ダイナミックな形態をとる。儀礼では人生の節目、節目を再生の諸相を行い、重要な戦いの再演、大自然の猛威といったことが人間の神への畏怖となり、やがて習慣化し、通例化することで、古代の祭式を創出する。そして祭式から芸能が生まれ、いろいろなジャンルの芸術へそれぞれ発展していく。
折口信夫も『日本藝能史六講』のなかで、芸能の出来て来た理由を、まつり(祭礼)において、はじめは芸能だというものすら感じなかったものに、だんだん一つの目的が生じて、動作が固定され、習慣になってくる。同時にまた、その目的観が芸能を次第にまとめ、つくり出して来るといっている。(*29) また、目的らしいものをとり出し、その目的に合うように段々芸能の形を変え、形式化し固定する。そして私たちの持っている芸能(つまり、演劇・歌謡・曲芸・武技・相撲等)は皆、儀礼を通って今日に至っているという。折口は、芸能を生んだまつりには、神が出て来られねば、まつりにはならないと主張している。神=自然に対してでなければ、人間は儀式を生み出し、それを発展させなかったということか。祭式が、芸能を発展させる重要な場であったことは、世界共通の文化認識である。(*30) 儀式を繰り返す間に、熟練してきて批評したり、鑑賞したりする自由も生じてくる。ある人もしくはあの人が、儀式をいかに巧みに行ったか、否か、ということが批評や鑑賞を生み出す根本になる。そんな風に儀式は次第に芸能に変わってくる。つまり儀式を行う為に、練習というより訓練を受ける機会が多くなり、更に芸能になると、それが演出する人の監督によって行われる、ということになってくるのである。
児嶋健次郎は、
芸能の起源は文字表現以前の文化と同じところに位置するものであり、
人間が言語手段をもち、喜怒哀楽をアクションで表現したり、原始の生
産咒術や生きることへの陶酔感を、人間の五体によってさまざまな姿態
でみせる宗教的行為にあるといえる。
と書いている。(*31)
人は、昔から、収穫の実りに感謝するとき、そして労働の意欲を高めるために、ことあるごとに歌い踊り、歓びや悲しみを表現してきた。そのなかの一つの要素が発展して演劇になった。
*29 折口信夫 『日本藝能史六講』 講談社学術文庫 1991年
*30 児嶋健次郎 『芸能文化の風姿 その曙から成熟へ』
雄山閣出版 1996年
*31 註30に同じ
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