「本来の自分に還る旅」上手く生きられない私を優しく包み込む場所。
「仕事と家と恋人を同時に失うと人はどうなるか。」
悲しいことに私はこの状況に陥ったことがある。まだ春の気配もない、3月初旬の寒い夜のことだった。
住む場所もなにもない私は、最低限の荷物だけ抱え、こんな緊急事態に迷惑をかけても許してくれそうな、頼れる唯一の友人の家に転がり込んだ。
心も体も疲れ果て、正常な判断ができるような精神状態ではなく、何もない今の自分でもすがれそうな希望の光を探しては、何も浮かばず絶望する日々。考えれば考えるほど、"今の自分には何もないという"事実を目の前に叩きつけられたようで、どんどん負のスパイラルにはまっていく。
そんなある日、少ない荷物の中から持ってきていた日記代わりのノートをパラパラとめくっていたとき、"いつか叶えたいリスト"と書かれたページが目に入った。
結婚したいとか、仕事で賞を取りたいとか、今の状態では見るだけで悲しくなるようなリストの中に「タイでマッサージの資格を取りたい」という項目が目に入る。昔の私がなんとなくのノリで書いただけなのはすぐ分かったが、今の自分でもすがることのできる微かな希望の光が少し見えたような気がした。
私はすぐさまタイ行きの航空券を購入し、ネットで調べた良さそうなマッサージ学校へ連絡を入れる。幸いにも、「今は閑散期だからいつ来てもいいよ」と快い返事をくれた。
学生時代にバックパッカーをしていた私は、かつて他のバックパッカーと同じようにタイの田舎で沈没したことがある。社会人になってから旅とはかけ離れた人生を送っていたけれど、「こんな時にタイを選ぶなんて私らしいな」なんて苦笑しつつ、なけなしのお金を持ってタイへと向かった。
到着した場所は北部のチェンマイという街。空港から車に乗り、何もない草原やローカルな風景を走ること30分、周りを緑に囲まれたのどかな場所にマッサージ学校はあった。
タイの伝統的な建築様式で建てられている古民家をリフォームした立派な校舎。まるで映画で見る昔のタイにタイムスリップしたかのような趣で、木々に囲まれた広い庭からは、日本では聞くことのない南国特有の鳥のさえずりが響き渡る。
ここでの生活は1ヶ月間。事前に相談して、クラスはタイ古式マッサージの他に、タイ式ヨガのルーシーダットンやデトックスのリンパマッサージなどを組み込んでもらった。マッサージ学校といっても、私にはマッサージの経験など1mmもない。小さい時にお父さんの肩を叩いたことがあるとかその程度で、とにかく苦しいことを忘れたかった私には人を癒す余裕などなく、圧倒的に自分が癒されたい気持ちの方が強かった。
1日の始まりは、タイ古式マッサージの創始者シバゴ先生に感謝するお祈りから始まる。9時の鐘の音とともに広間に集合し、先生唱える言葉をひたすら復唱する。パーリー語というお坊さんが使う言葉で、先生も詳しくはわからないらしい。
まぁまぁ長いそのお祈りは、目を閉じて唱えている間に、鳥のさえずりと朝の涼しい風とが合わさって、自然と瞑想のような状態に入る。意味のわからない言葉の羅列も耳障りがよく、唱えていると心が落ち着いてくるから不思議だ。
お祈りが終わると授業開始。先生が教える一手一手を真剣に覚えていく。
タイ古式マッサージはただコリをほぐすだけでなく、「セン」と呼ばれる身体中に張り巡らされたエネルギーの通り道を、一つずつ解いていくように体を手当てしていく。肩が痛いからといって肩のコリだけを直接的にほぐすのではなく、手首足首から絡まった「セン」をほぐしていくことで、肩にはそんなに触らなくても自然とコリが取れているのだ。
ここ2年ほど激務続きだった私は、整体師にも見放された重たい肩こりを抱えており、それがずっと頭痛の原因だった。けれどそのコリも本場の先生の腕にかかれば、たった2時間のマッサージで消えてしまった。
タイ古式マッサージは別名二人でやるヨガとも呼ばれ、相手を癒すだけでなく、リラックスした正しい姿勢でやることで、施術している側にも癒しの効果がある。そして、そのリラックスでもっとも大切なのは「呼吸」なのだと先生は言う。
ついこの前まで、東京という大都市で朝から晩まで働きづめだった自分。同棲していた彼氏とも上手くいかず、外でも家の中でも息がつまるような生活で、朝起きてすぐ「今すぐ逃げ出したい」と思うそんな毎日だった。
私は徐々に上手く息を吸うことができなくなり、ひどい時は彼氏と喧嘩して過呼吸を起こすこともあった。
「あぁ、私にできていなかったのは、上手に呼吸をすることか。」
“息を吸う”なんて当たり前のことだけど、そんな当たり前のことすら見えていなかった自分。何かあった時に一旦止まって呼吸をすること、呼吸をすることでストレスからきちんと距離を取ること、呼吸で自分自身を整えること。そういうきちんと意識的に呼吸することの大切さを、タイの片田舎で気付かされた。
優しいタイの空気の包まれ、昼はマッサージを覚えて夜は復習をしながら眠りにつく日々。そんな生活を送っているうちに、私の体も心もセンを解くように解放されていく感覚があった。仕事とプライベートでこんがらがった頭も、何か見つけなきゃと焦っていた心も、何から何までいっぱいいっぱいな自分も、タイ人特有の「マイペンライ(大丈夫)」の魔法にかかれば、自然と解きほぐされていく。
優しい先生や、言葉は通じないけど挨拶すると微笑み返してくれる庭仕事のおじさん、片言のタイ語で「美味しい!」というだけでまんべんの笑みで喜んでくれる食堂のお母さん、全然相手にしてくれない猫と呼んだらすぐ来てくれる子犬たち。まるで「そのままでいいよ」と言ってくれているかのように、外の空気から周りの人々、私を包み込むタイの全てが、カチカチに凝り固まった心を優しく癒してくれた。
そもそも、“何もない”ことが本来の姿で、そんなありのままの私を受け止めてくれるタイの空気。何かにすがりたい一心で、タイに新しい“何か”を見つけにいった私は、マッサージを勉強することを通して、またタイの人々と触れ合うことで、新しい"何か"ではなく、本来の自分の“呼吸”を取り戻すことができた。
母国から遠く離れているのに、不思議と"何もない本来の自分"に還れる場所。自由に旅ができなくなってしまった今、改めて自分にとってタイは特別な場所だなと思う。
再び安全に旅ができるようになったら、真っ先にタイに行こう。癒しの空気と自分らしい呼吸を求めて。
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