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Globalism の波について

突然多文化他民族多言語の共生について深く考えてしまう今日この頃である。私のパートナーがNikeの日本でのCMについてどう思うか聞いてきました。日本での在日韓国人やアフリカ系アメリカ人や転校生のいじめについて映像で表現したCMでした。、いじめはどこにでも起こるし少数派であればターゲットにされる事は世界中でどこでも起こっていることでしょう。

それを問題提起することで公共の場で表現して、みんなで考える場を与えると言うことが良いと言う考えからこのCMを作ったことでしょう。

当然Nikeは収益を上げることで会社として継続することができるので、このCMが売り上げにつながる事は計算の上でやっていることでしょう。

このCMの反響は日本ではネガティブに捉える方が大きかったようである。私はオランダに住んでた民族や多文化が共生している街で生きているため、それを無視することができない世の中に生きております。

日本ではそういった少数派に対して目をつぶっても生きていける環境がある特別な地域であることも認識しております。

沖縄人を例に挙げてみてはどうでしょうか?日本という国の中では少数派であり、そのせいもあって70%以上の米軍基地が沖縄の土地で滞在している現実を日本人はほぼ直視できないようであります。

ただ日本人としてこの民族の多様性の少ない地域で育った私の目線から見て、日本人として日本で生きる事はとても安心安全で過ごしやすいとも感じておりました。
私のパートナーはぼそっとこう言いました。日本で抵抗があるのもわかるし日本人としての民族性を残したいのはわかるけどもグローバリズムは既にどんどん近づいてきています。

これは避けるか避けないかと言う問題でもなさそうです。
私には、明確な答えなどはありませんが、ふとこみ上げてきた感覚として、このグローバリズムはそもそも支配のためと言う考えでもなく、その根源にあるのは他の人とつながりたいと言う強い気持ちから生まれていると感じるからです。

当然うまくいかなければ何とかしてでもつながりたいと言う気持ちが先のめりして支配的な行動に移る事も多々あることでしょう。人の関係性はとても難しいもので人間の暮らしのほとんどの問題は人間関係から起こっていると言っても間違いありません。なのでそれを避けるか避けないかと言う話ではなく、どのような認識で人と関わると争いがなくいろんな人と関われるのかと言う考え方が必要ではないでしょうか?

私の頭の中にポンと生まれてきたアイデアとして、このグローバリズムを推し進めたい人たちを1つの民族として捉えてみてはいかがでしょうか?

その人たちは人種の区別もなく、言語としては主に英語を話し、常にいろんな人と関わりたいと言う気持ちが抑え切れないそういった民族でございます。

当然日本人としての民族性とは異なる特性を持ったグループではありますが、深く深くわかっていけばそれを避けようと言う取り組みではなくどうやったらうまくいくかって言う部分の解釈を育てる事ができるのではないでしょうか?
当然それが合わなければ距離をおきたいしそれがあれば近くにいて欲しいし問題があればまた離れたくなるのも人間の性でございます。などで知り合う前から避けると言うよりもやはり体当たりする必要があるのではないでしょうか?ガードもきっちり構えてきっちり守れるような準備もしておききっちり違う道も確保しておきながらそれでも向き合うそういった強い意志が必要ではないでしょうか?

私の経験から、逃げようとしているのは個人では可能ではあるけども土地に根付いた人たちにはその道はありません。中東の方からヨーロッパへ難民として逃げる方々も大勢いらっしゃいます。逃げようとする理由はその土地に住むことが困難になったからであります。しかしその難民の方や移民の方たちと話してみても感じる事は新しい場所に来たからといってそこが良い環境になると言う保証はないと言うことです。当然1からまた立て直さなければいけないので難しいことの方が多いのも確実であります。もしもグローバリズムから逃れたいと思いであれば新しい土地を探すのも1つの考え方かもしれません。ただ新しい土地で他の人がいない場所となると宇宙旅行も考えなければいけないかもしれませんね。

そういったいろんな思惑から宇宙への旅へ向かうと言うことも面白い計画かもしれません。

サポートしようという考えに至って頂き誠にありがとうございます。私はお金を得ることを相手が心から喜んだ値に応じて受け取れるようにできる方法はないものかと思考錯誤して、このサイトに出会い試してみることにしました。これで生きていくのに十分な収入が入れば世の中が間違いなく高い意識に進化。